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神戸事件 通話記録 出産時何があったのか?  

出産時の状況について、私が当該女性から1月26日(月)夕方に電話で聞き取ったときの文字起こしです。

女性と蓮田の通話文字起こし(出産場面)

私は彼女のプライバシーに関わることを社会に公表したくなかったのですが、状況が変わりました。

彼女は殺人者としての嫌疑をかけられてしまっています。
ネット上では「やっぱり殺したのか?」などのコメントも出始めています。
これは彼女の一生のダメージになり得る事態ですが、これを消し去ることはできません。今できるのは不起訴に持ち込むことです。

神戸北署は殺害の調書を取っていますが、もし起訴になれば、検察官は取り調べ中の録音ないし録画に基づいて、被告人が殺害を認めたことが警察官の誘導や強制によるものではなかったことを証明しなければいけません。それができなければ裁判所は、殺人の調書を証拠として採用しません。

私は法律の専門家ではありませんから、この理解に誤りがあれば、どなたかご指導ください。私が得た情報(「取り調べの録音・録画について」警察庁丙刑企発第2 1 号)からは、上記のように読み取れます。

神戸北署 刑事課長への抗議文

神戸の事件で私が神戸北警察署に提出した抗議文を添付します。

元々、この文書は警察と報道関係者にしか開示していないものです。
文書公開によって世間に騒がれ、当該女性やご家族が辛くなることを避けたいと思っていましたので。

また抗議文を届けられた神戸北署の警察官も辛いはずです。
警察官だけではありません。
そのご家族の名誉にも関わります。

遺棄罪で逮捕されても、その後に不起訴になれば、当該女性やご家族のことを考えて私の中では終わりにするつもりでした。

ところが遺棄罪が不起訴になったことを受けて、警察は殺人罪で再逮捕するという無謀な行動に出ました。私なら、このような負け戦を行いません。

そこで私も考えを変え、殺人罪を不起訴にすべく、私なりに発信することにしました。

神戸北署 刑事課長抗議文

 

 

 

 

 

 

まさか殺人罪で再逮捕するとは

1月に神戸市で発生した新生児の遺棄事件ですが、まさかの殺人容疑で再逮捕になってしまいました。

2月6日(金)の午後に神戸の新聞記者さんから電話が入り、殺人容疑で再逮捕になってしまったことを教えてもらったのですが、私としてはビックリでした。私が伝え聞いたところでは、当該女性は2月6日に不起訴となって釈放されるのではないかとの見立てがありましたので。

確かに、この日に検察は当初の逮捕容疑である死体遺棄罪について不起訴処分にしました。これだけなら釈放になるところです。ところが警察は殺人容疑で再逮捕して、女性の拘留を延長してしまったのです。

ネットを検索したところ、次のような記事がありました。

兵庫県警はその後の捜査の結果、母親が女の子の首を圧迫し殺害した疑いが強まったとしてきょう殺人容疑で母親を逮捕しました。

後のブログに彼女からのメールや私との電話会話を載せますが、彼女は私にこのような経過を全く述べていません。ただ私は気になる情報を得ていました。

神戸北署の留置所で彼女に面会した人の情報では、彼女が「『一瞬、赤ちゃんの声が聞こえたので、首に手をかけた』といった内容の調書を取られそうになっている」と言っていたそうです。

弁護士さんたちは毎日留置所に面会に行き、被疑者ノートを彼女に差し入れました。被疑者ノートは、被疑者が取り調べの状況や内容を記録するためのノートです。これを記録することで不当な取り調べや冤罪を防ぐ効果があると言われています。

ただ結果としては殺害を想起させる調書を取らされたのだと思います。新生児の遺棄・殺人事件で逮捕される女性たちの傾向として、人の顔色を見て、過剰に人に気を遣い、迎合するところがあります。私が過去に関わった事件では、「警察官が嫌な顔をするのを見たくなかったので、警察官が言うことを認めてしまいました」と述べた女性がいました。

世間から見れば、「拒否すればいい」「黙秘すればいい」となりますが、逮捕され留置所に入れられた女性は、警察官という権力・権威のかたまりを前にすれば、あまりにも無力です。

続けて他の記事を見ていきます。

警察の調べに対し「赤ちゃんは生きていた」「赤ちゃんが生まれたことが他人にばれてしまうと思って、赤ちゃんの首を右手でつかんだ」という趣旨の供述をしたということです。

私が彼女から聞いたのは、生まれてくる赤ちゃんの出てこようとする頭を自分の手で支えたという状況ですし、出てきた赤ちゃんは泣かずに、体は青白く、ぐったりしていたそうです。(後のブログで、そのやり取りをアップします)

取り調べに対し容疑者は、“出産した赤ちゃんの首をつかんだところ、赤ちゃんが死亡した”という趣旨を供述し、容疑を否認しているということです。

この記事の表現はよく分からないです。過失致死は認めるが、殺人については否認しているということでしょうか。

捜査1課によると、これまでの調べに「赤ちゃんは生きていた。生まれたことが他の人にばれてしまうと思って首をつかんだ」という趣旨の供述をしていたが、再逮捕後は「殺していない」と容疑を否認しているという。

たぶん、これが最も実情に合った表現だと思います。神戸北署では殺害を想起させる調書を取らされたものの、その後の弁護士さんからのアドバイスによって否認や黙秘に転じたのだと思います。

今後、当院が彼女から受け取ったメールや私が聞き取った内容をブログにアップしたいと思います。日本では産婦人科を受診していない孤立妊娠女性が、一人で出産し死産になると、ほぼ自動的に逮捕になります。今回の事件はその典型例です。

ただ私は昨夜から3夜連続当直の身で、ブログ作成に専念できません。時間がかかるかもしれませんが、お許しください。

 

王様のような裁判官

この文章を読んでいただいている方、裁判官についてどのようなイメージを持っていますか?

頭が良い、冷静、真摯…
私はこう思っていました。

ところが赤ちゃんの遺棄事件の裁判を傍聴するようになって、そのイメージが崩れつつあります。「こんな人に判決を委ねていいのか?」と思えるような言動をする裁判官もいました。そう思ってしまう自分がおかしいのかと思いネットで検索すると、実は問題視される裁判官がけっこう挙げられていたりします。

私が違和感を感じたケースを挙げてみます。

被告への怒りやいらだちを表情に出す裁判官

被告への質問の途中から「どうしてできなかったんですか?」と自分の感情を被告にぶつける裁判官がいました。質問するというより責めていました。裁判官は冷静に事を進める人というイメージを持っていましたので意外でした。

裁判官が義憤を感じたり、被告を罰したければ、それは量刑を下すことで行えば良いことです。法廷の場で被告を叱っても、決して被告の心に響くものではありません。被告を叱ることで裁判官や被害者の憤りを和らげることができるかもしれません。しかし乳児死体遺棄事件では既に赤ちゃんは亡くなっていますので、結局裁判官の自己満足に終わってしまうのです。むしろ感情的になってしまう裁判官が出した判決そのものの信用を損ないかねません。

裁判官は法廷の王様

検察官が陳述している最中に、裁判官が不機嫌そうに「それは前に聞いていることだから」と検察官の言葉を遮る場面がありました。検察官は直ちにかしこまって主張を引っ込めてしましました。裁判官と検察官の力関係を如実に感じた瞬間です。

この裁判官は公判前に検察官や弁護人から一定の情報を得ているので、時間の節約から無駄な部分を省きたかったのかもしれませんが、検察官の主張したい部分を尊重しても良いと思うのです。
また、判決に至る過程をわかりやすく納得できるものにするためには、裁判官が既に知っていることでも、被告や傍聴人のために改めて説明や主張をする時間があるべきとも思います。

ただ、この裁判官の言動を見ていて気付いたのは、そもそも裁判官としては被告人、マスコミ、傍聴人にも理解・納得できる開かれた裁判を目指しているのではないということです。裁判官自らの情報収集の場に過ぎないのでしょう。

裁判長には訴訟指揮権というものが与えられているそうで、法廷では圧倒的に強い立場にあります。その下では検察官も弁護人もひれ伏さなければいけないのかと感じた程です。素人の感覚では、裁判官は検察官と弁護人に敬意を払いながら真摯に耳を傾け、判決を下すものと思いがちですが、現実は必ずしもそうではないようです。

また法廷内や外の廊下では裁判所の職員さんが甲斐甲斐しく動き回ります。裁判長が一言指示すると、さっと反応して動く姿がますます裁判長の王様感を際立たせてしまいます。

「オレの法廷!」という言葉が聞こえてきそうな、そんな法廷でした。

裁判官は必ずしも人格者ではない

裁判官も色々なので当たり前かもしれませんが…。
刑事裁判では「被告人の最終陳述」という手続きがあります。
裁判官が被告に「最後に述べておきたいことがあれば、述べてください」と促します。
ところが、先の裁判官は「最後に述べたいことがあれば、述べて下さい。ただ、あなたは前回自分のことをたくさん話してくれたので手短かに…」と。
それまでの裁判官の言動から、「事務的」、「面倒くさそう」、「時間内に終わらせる」という雰囲気を感じていましたので、「ああ、やっぱり…」でした。
被告の言葉を真摯に聞くというより、公判の手続き上定められているので、半ば義務的に聞いている感じでした。
裁判官の立場からすれば、次の裁判が控えているのかもしれませんし、幾つかある裁判の一つに過ぎないのかもしれませんが、被告としては判決を宣告される前の最後の言葉です。
特に無罪を信じている被告にとって、この裁判官の言動は敬意を欠いていました。

裁判官は守られている

「自分が被告なら、こんな裁判官には判決を下してもらいたくない」と思いながら裁判所を後にしました。高圧的、事務的、義務的な裁判官の態度に怒りました。
そもそも判決を下す裁判官は法廷の場で被告、検察官、弁護人、傍聴人から敬意を持たれるような振る舞いをしなければならないのではないはずです。
このような状況を、これまで誰も疑問に感じなかったのでしょうか?

私が存じ上げている報道関係者や弁護士の方々にこの質問をぶつけてみたのですが、それはもう認識済みのことの様で、半ばあきらめモードでした。

医師の態度が悪ければ病院に苦情が寄せられます。
そのような医師を患者さんは避けるようになり、外来には閑古鳥が鳴きます。
しかし、裁判官の場合は余程の逸脱行為がなければ干されることはありません。
そもそもサービス業の医師とは異なるポジションですし、同じ公務員でも行政職、学校の先生、警察官の様に苦情を受け止めないといけない立場とも異なるのでしょう。

だから裁判員裁判

人を裁けば、一方から喜ばれても、もう一方には不満が残ります。
あるいは両者が不満を感じる判決を下さなければならないこともあるでしょう。
それだけ厳しい立場にある裁判官が、職責を全うするために特別な権限を与えられていることは理解できます。

しかし守られ、批判に晒されにくいことが一部の裁判官の独善性を招いているのではないでしょうか。「開かれた司法」が理想であることは確かです。しかし現実に法廷にいるのは、検察官や弁護人に対して圧倒的な力を持つ裁判官、物を言いにくい立場にある被告、法廷のしきたりに従わなければいけない傍聴人、現状に慣れたのか、あるいは諦めてしまったのかのようなマスコミ。多くの人が居ても、口をつぐんでいるのであれば、開かれた法廷ではなく、密室と変わらないのです。

こんなことを考えているうちに、「だから裁判員裁判なんだ!」という思いに至りました。

この制度が導入された頃は深く考えることもなかったのですが、よくよく考えてみると、裁判官というプロの仕事に素人をねじ込むのはおかしくはないですか?

刑事事件において判決を下す行為は被告の一生を左右しかねないことです。そのことに知識も経験もあるプロなら、自分の仕事場に素人を入れることは屈辱に近いことです。医師に置き換えてみれば、手術にあたって医療関係者以外の人を補助員として執刀医に付けるようなものです。私なら自分のする手術が信用されていないとショックです。

裁判員制度の目的が「裁判内容に国民の健全な社会常識を反映する」という文章を目にしました。裏を返せば、裁判官のみで作られた判決に非常識なものがあったということでしょう。

大岡裁き

先日、病院職員が長野県上田市で裁判の傍聴をしてきました。乳児遺体遺棄事件の裁判です。帰ってきた職員が裁判官のコメントに感銘を受けて帰ってきました。
「被告の顔を見ながら、同情の気持ちも伝え、諭すように語りかける」姿は先の事務的な裁判官とは違ったそうです。有罪か無罪かの結果も大事ですが、判決を下した裁判官が信頼に足りると思わせることができるかどうかも大事です。

私の裁判傍聴経験は、まだ数少ないものです。
たまたま違和感を感じる裁判官に遭遇してしまっただけで、大部分の裁判官は敬意に値すると信じたいです。

かつて『大岡越前』というドラマがありました。江戸時代の名奉行を描いた作品です。「大岡裁き」という言葉は、公正で人情味ある裁きのことを指しますが、それを体現するような名裁判官に出会ってみたいと願っています。
現場の裁判官からは笑われるかもしれませんが…

 

これが死体遺棄罪に当たるのか?

7月20日(火)、ベトナム人実習生乳児死体遺棄事件の判決が出ました。
5月17日に投稿した「気の毒です」の女性の裁判です。
懲役8ヶ月、執行猶予3年でした。

弁護団のみならず、傍聴人、報道関係者の評価は「検察劣勢で遺棄罪を立証できていない」「よくこれを起訴する気になったものだ」というものでした。
関係者は楽観的に考えていました。
私も、これで有罪はないでしょうと思っていたものですから、判決の知らせを聞いて驚きました。

判決文を見ると、「被告人がその頃出産したえい児2名の死体を段ボール箱に入れた上、自室に置き続け、もって死体を遺棄した」とあります。
死産した2名の赤ちゃんに対して彼女が行った行為は、

・部屋にあった小さめの段ボール箱にタオルを敷き、その上に赤ちゃんを寝かせ、          その上からタオルをかけた。

・赤ちゃんたちには「コイ」「クォン」という名前を付け、赤ちゃんたちへのお詫びの言葉と、「ゆっくり休んで下さい」というメッセージを書いた紙を赤ちゃんのご遺体に添えた。

・ご遺体の入った段ボールを自宅のタンスの上に置いた。

というものです。

判決文では「国民の一般的な宗教的感情を害した」ことが懲役8ヶ月の理由として述べられていますが、果たしてそれに値する行為なのでしょうか?
赤ちゃんのご遺体をゴミ集積所に置いたり、トイレの便器に放置したりすれば、尊いご遺体の尊厳を傷つけたということで、罪に問われてもやむを得ません。
しかし彼女の行った行為は、ご遺体の遺棄ではなく安置と見なすのが常識的な判断です。
また、長期間自宅に置いたままにすれば罪に問われるかもしれませんが、今回は出産してから、病院で出産の事実が明らかになるまで約24時間しか経っていません。

私は約10年前から全国で発生する赤ちゃんの遺棄・殺人事件をネットニュース上で見続けてきました。その中でも今回の事件で被告が行った行為は優秀です。出産直後の疲れ切った体と、2人の赤ちゃんの変わり果てた姿を目の当たりにする精神的なショックを抱えながら、赤ちゃんへのメッセージを添えてご遺体を安置したのですから。

これで有罪なら、自宅で死産した女性たちのほとんどが罪に問われることになります。そして、これがネットを通じて広まれば、自宅で死産した女性たちは逮捕されることを恐れて、ご遺体を隠してしまう恐れがあります。

今回の判決は犯罪を誘発しかねない事態で、今後も各地で発生する孤立出産に暗い影を落とす形になりました。

 

 

 

気の毒です

 

熊本県芦北町でベトナム人実習生が双子を死産し、逮捕され起訴、裁判になろうとしています。彼女は二人の子どもに名前を付け、手元にあった段ボール箱に布を入れ、その中に子どもたちを安置し、埋葬を希望していたのですが、結局罪に問われることになりました。

私が知る限りの情報では犯罪性はなく、これで有罪なら全国で発生している自宅死産ケースの女性たちも今後危ういと心配です。

彼女を支援する方とのご縁で彼女とは面識があったのですが、釈放中の彼女がご遺骨を携えて挨拶に来てくれました。検察はなかなか赤ちゃんのご遺体を返してくれず、死産から5ヶ月経った先日にやっと火葬が実現したそうです。解剖は年初に終わっていたようですから、早くに返してあげればよかったものをと思うのですが。

彼女に初めて会ったとき、表情の幼さに痛々しい気がしました。
21歳と言えば、わが娘と年は変わりません。
自分が親だったら辛いだろうと…

日本という異国の地で働き、得たお金の多くを母国の家族に仕送りしていた頑張り屋です。産婦人科医としては、死産した女性の打ちひしがれた姿に接することがありますので、彼女の喪失感、不安感はいかばかりかと同情します。

「どうして避妊をしなかったのか」という人もいるかもしれませんが、日本では避妊できずに年間15万件の人工妊娠中絶が行われています。その背景には男性の性欲が存在するのですが、矢面に立たされるのは女性たちです。

「中絶をすればよかったものを」と考える人がいるかもしれませんが、世の中には、「お腹の中の赤ちゃんを殺すことだけはできない」と言って出産する女性がいます。人生観、価値観、倫理観は人によって様々です。

近いうちに裁判が始まるようですが、彼女の重荷が早く取れることを願っています。

 

救いたかった母子

久しぶりの更新ですが、先日出た判決から感じたことを綴りたいと思います。

平成27年、生後10ヶ月の女児に暴行を加え死亡させたとして、高知地裁が9月、母親に懲役4年(求刑懲役5年)の判決下しました。母親には育児不安があり、「赤ちゃんポストに預けたい、できるなら殺してしまいたい。殺してどこからか飛び降りたい」と周囲に漏らしていたといいます。

このような報道を見ると、私は「こうのとりのゆりかご」の課題を改めて考えさせられます。生命に関わる危機に陥った母子の緊急避難施設として役立っていません。

今回のような事件になる前に、もし赤ちゃんを「ゆりかご」に預けてもらえれば、母子ともにこのような不幸に遭わずに済んだかもしれません。

赤ちゃんを殺すくらいなら、捨てるくらいなら、「ゆりかご」に預けて欲しい。そういう願いで運営していますが、現実には全国で赤ちゃんの遺棄や殺人が発生しています。

なぜでしょうか?

一つには、「ゆりかご」の存在自体が知られなくなってしまったことにあると考えられます。中学校の性教育に出向いた際、中学生に聞いてみたところ、9割の生徒が「ゆりかご」を知りませんでした。

10年前、開設当初は賛否両論でメディアにも取り上げられ、多くの方に知っていただけましたが、最近ではご存じない方も少なくありません。

次に、問題になるのが距離感です。首都圏で生まれた赤ちゃんが、新幹線で連れてこられたケースはありましたが、東北や北海道在住の方にとって、交通費や所要時間の面でハードルが高いと考えられます。

その上、せっかく遠路はるばる赤ちゃんを連れてきても、それを受け入れ包み込む社会の雰囲気が「ゆりかご」のある熊本でさえ形成されていません。

先日、「こうのとりのゆりかご専門部会」は検証報告書を出しました。

「自宅出産は危険ではないか」「生まれて間もない赤ちゃんをどうして遠くから連れてきたのか?」これは行政や専門家からよく出る意見です。

本人としては、どうしようもなくなって、追い詰められて熊本まで来ているのに、支えるべき人は批判するのです。

我が国では1年間に98万人以上の赤ちゃんが誕生し、年間18万件の人工妊娠中絶が行われています。そのような規模の社会の中には、いわゆる社会の常識から外れた経過をたどる女性も出てきます。そのような女性の行動が理想的なものでなかったとしても、最悪の事態を避けるために容認すべきではないでしょうか。

仮に、北海道から赤ちゃんを連れてきた女性がいたとしても、「お母さんも辛かったね。よく頑張って連れてきてくれたね」と迎え入れる雰囲気が熊本で醸成され、全国に拡散されればと願っています。それが、不幸な事例を少しでも減らすための一歩ではないでしょうか。

「バイバイ」笑顔の幼子、母は橋から落とした:朝日新聞デジタル

小さないのち 奪われる未来 子どもへの虐待が後を絶たない背景の一つに「育児の孤立化」があるとされる。ある母子の悲劇を追った。 「この子をこのまま置いておくわけにはいかない」 不機嫌になっていく交際相…

情報源: 「バイバイ」笑顔の幼子、母は橋から落とした:朝日新聞デジタル

「赤ちゃんを殺して、飛び降りたい」

平成27年10月、高知市で次の様な事件が発生しました。

・10月14日、生後10ヶ月の赤ちゃんが死亡。
死因は外傷性急性硬膜下血腫で、頭に強い衝撃を受けたことが原因。

・赤ちゃんの太ももに骨折の痕跡があり、手足数カ所に皮下出血の痕跡があった。

・児童相談所は、赤ちゃんが死亡する4ヶ月前には育児放棄状態である事を把握していた。

当時40歳の母親は、赤ちゃんの死亡後、精神状態が不安定で入院しましたが、今年9月に退院となり、警察の事情聴取を受け、11月逮捕に至りました。

母親には、育児に対する不安があって、
赤ちゃんポストに預けたい、できるなら殺してしまいたい。殺してどこかから飛び降りたい」と漏らしていたそうです。

私や妊娠相談室のスタッフにとって、ショックなエピソードでした。
赤ちゃんを「ゆりかご」に預けてもらえれば、赤ちゃんは犠牲者にならずに済み、母親も犯罪者にならずに済んだかも知れません。

「どうして、赤ちゃんを預けることができなかったのか?」

妊娠相談室では、カンファレンスの議題になりました。
母親は、赤ちゃんを支えきれず、限界状態でした。
ただ、その解決法として、赤ちゃんを「ゆりかご」に連れてくるにはハードルが高かったと思います。髙知から熊本まで赤ちゃんを連れていけるような精神状態ではなかったと思いますし、経済的にも厳しかったかもしれません。

赤ちゃんを殺すくらいなら、捨てるくらいなら、『ゆりかご』に預けて欲しい
そういう願いで「ゆりかご」の活動を続けていますが、全国で発生する赤ちゃんの遺棄や殺人を防ぎきれていないのも現実です。