カテゴリー別アーカイブ: こうのとりのゆりかご

「ゆりかご」動画をご覧下さい

「こうのとりのゆりかご」の動画ができました。

【妊娠、出産】赤ちゃんを自分で育てられない方へ。匿名(とくめい)で赤ちゃんを出産できたり、預けたりできます。【こうのとりのゆりかご動画/慈恵病院】 – YouTube

「ゆりかご」は自分では育てられない赤ちゃんを匿名で病院に預け入れるシステムです。ここには過去14年間で159名の赤ちゃんが預け入れられました。
最初に預けられたお子さんは18歳になります。

この動画は「ゆりかご」の現場で生じた出来事をつないで作られました。
私たちの立場からすれば、「あるある」の世界です。
動画中に読み上げられる手紙も、実際に病院を訪れた女性が書いたものを使っていただきました。

赤ちゃんの預け入れを「安易な育児放棄」と言う人がいますが、彼女たちの多くは独りで命がけのお産をした上で「ゆりかご」にたどり着きます。
安易と言うよりも必死の方が当たっています。
彼女たちは誰にも頼ることができず、途方に暮れて慈恵病院に来ます。

妊娠が分かったとたん、彼が電話にもメールにも応じてくれないケースは多々あります。
家族から仲間外れにされている女性もいました。
家族内のイジメです。
外食の時には独り留守番をさせられ、弟妹には許されるのに「アンタは冷蔵庫の中の物を食べてはダメ」と言われ続けて育ったそうです。
母親の機嫌が悪くなると包丁が飛んできたり、髪の毛をつかまれて引っ張り回されるとか…
頼るべき家族がいないのです。

この動画を通じて「ゆりかご」の実情の一端を知っていただきたいですし、妊娠して困った女性たちが相談してくれるきっかけになればと願っています。

最後に。
この動画は俳優さん、監督さん、プロデューサーさんなど多くの方々のお力添えでできました。
私たちの思いが時には素人のわがままに映ったかも知れませんが、嫌な顔もなさらず丁寧に対応していただきました。
深く感謝申し上げます。

オーディションに参加しました

現在「こうのとりのゆりかご」の広報ビデオを制作中です。

先日は赤ちゃんを「ゆりかご」に預ける母親役の役者さんを決めるためのオーディションに参加させていただきました。

この役には福岡県を中心に約60人の応募があったそうですが、ビデオ審査を経て選ばれた12名の候補者が監督達の前で演技をしました。
17~21歳の若い人ばかりでしたが、劇団や芸能プロダクション、モデル事務所に所属していて、入室するときの挨拶などを見ても「オーディションに慣れている」感がある人たちでした。

素人がオーディションに首を突っ込む意味があるのか当初は疑問もありましたが、意外とわかりやすく興味深い体験でした。

広報ビデオの影響力は主役の演技に負うところが大きいですから、依頼者の私たちとしても真剣です。

上の写真は母親が赤ちゃんを抱っこしてバスに乗っている演技を披露しているところです。泣いてしまった赤ちゃんをあやす演技が求められています。

赤ちゃんを産んだり育てたりしたことがない彼女たちには酷な気もしました。
(あやすだけなら7人の赤ちゃんを育てた私の方が上手く演じるかも…)
きっと頭の中に記憶している母親の姿をたどりながら演技しているのでしょう。
それはテレビドラマで見たシーンや、親戚の女性があやす姿、街角で見た母親の姿が基になっているのかもしれません。
その意味では普段から人間を観察していなければ演じることは難しいと思います。
俳優さんには、表現力だけでなく観察力や想像力が求められるのではないかと感じました。

演技してくれた人達は笑顔が魅力的で礼儀正しい女性ばかりでした。AKBなどのアイドル系グループやアナウンサーとして活躍できる顔立ちの人も多くいました。

ただ俳優として生き残るためには、それだけではだめなのだと思います。
素人の私でさえ依頼者の立場になれば、人を引き込むような演技ができる人を求め、食い入るように見つめます。テレビのドラマや映画をぼーっと観ているのとは違います。

今さら言う必要はないかもしれませんが、芸能界は厳しい競争の世界だと思います。4時間かけて12名の演技を見せてもらい、それを感じました。

 

 

 

どうして「こうのとりのゆりかご」に預けてくれなかったのか?

乳児の遺棄事件や殺人事件の報道に接すると、どうして「こうのとりのゆりかご」に預け入れしてくれなかったのか残念に思います。
その事情を教えてもらい、事件の再発防止に向け対策を立てたくて裁判の傍聴を始めました。

被告となった女性に事情を伺うと、
「『赤ちゃんポスト』という名前は聞いたことがあるけれど、どんなものかは知ら       なかった」
「遠くて行くことができなかった」というお返事が多いです。

確かに14年前にスタートした当時は知られていた「ゆりかご」も、最近は知られなくなりました。
特に若年層に知名度がないのが頭の痛いところです。

また、予期しない妊娠の末に独りで出産する女性は経済的に困っていることも少なくなく、遠方から来るには交通費がネックになります。

時間的な制約もあります。
妊娠・出産の事実を家族や職場に知られるわけにはいかないため、日帰りのつもりで慈恵病院を目指す女性がほとんどです。
首都圏から新幹線で赤ちゃんを連れてくる女性はいますが、例えば北海道や東北は厳しいと思います。
赤ちゃん連れということもありますし。

このような実情から、私は各都道府県に1カ所ずつ「ゆりかご」が設置されることを願っています。
自分が居住する地域なら地理的情報がありますし、費用や時間の面でもハードルが下がります。
これを実現できれば不幸な事件も少なくなると思うのですが…

 

 

第三者検証委員会への不信感    その2 ~匿名を許さない~

専門部会の報告書には、「匿名を貫くことは容認できない」とあります。
子どもを守りたいという気持ちがにじみ出ている表現です。

匿名性を容認するのか否認するのか?

この議論に当たっては、どのくらいの女性が匿名性を求めているのか考える必要があります。私は1万人に1人に認める匿名性を前提としています。

私が過去に報道された事件を調べた範囲では、赤ちゃんの遺棄・殺人事件は国内で年間20~30件発生しています。報道されないケース、つまり人知れず遺棄したり殺したりの数も含めれば年間100件位は発生していると推測します。

一方、2020年の出生数は84万人、人工妊娠中絶数は14万5千人ですから、合わせて年間100万件の妊娠が発生していることになります。もっと細かく言えば、流産・死産がこの数字に入っていませんので、これも合わせると年間110万件くらいになるでしょう。

私が求めているのは、日本で発生する年間100万件の妊娠の中で、赤ちゃんの遺棄・殺人に発展しかねない年間100件について匿名性を容認してもらえませんか、という提案です。1万人に1人に認めるのです。

過去に発生した事件を振り返ると、遺棄・殺人を犯してしまった女性たちは、妊娠の事実が家族、職場に知れることを極端に恐れていました。辛い陣痛を独りで耐えてでも妊娠を知られるわけにはいかない、それくらいの覚悟の人たちです。
望まない妊娠をした女性はたくさんいますが、中でも妊娠の秘匿性を強く求めるごく一部の人たちには、別の対応をしなければ問題を解決できません。

「匿名は容認できない」の姿勢で臨めば彼女たちとの接触は望めません。
専門部会の方針では彼女たちに為す術はないことになります。

彼女たちが必死になって守ろうとしている匿名性を否定せず尊重し、かつ彼女たちを慰め、助けていけば、彼女たちは安心し100人中の8~9割が匿名性を撤回すると見込んでいます。これは今年に入って「秘密で出産したい」と申し出があったケースの経験を踏まえての推測です。

人が自らの出自を知ることは重要です。
可能なら全ての子ども達が出自を知るべきです。
しかし全ての子どもたちが享受できる訳ではありません。
「出自を知ることができない」というハンディキャップを背負う子どもが、ごく一部(1~2万人に1人)で発生することを社会が容認しなければ、赤ちゃんの遺棄・殺人の問題は前進しないと考えます。

ちなみに子どもの福祉という面で考えれば、世の中には虐待というハンディキャプを負っている子ども達がたくさんいます。例えば日本では年間19万件の虐待相談が発生しています。他の子が当たり前と思っている平和な家庭生活を送れないどころか、虐待によって精神疾患に陥ったり、脳に後遺症を残したり、亡くなってしまう子さえいます。

出自を知ることができない子どものハンディキャップも、虐待を受けている子どものハンディキャップも、悲しいことですが厳然として存在します。どんなに防止策を講じてもなくなることはありません。その存在を否認するのは現実逃避です。大事なことはハンディキャップを負った子ども達をどのように支援していくかです。

「匿名を貫くことは容認できない」という言葉は一見すると高い理想を謳っているように見えますが、予期しない・望まない妊娠の現場に直面している私には空虚を通り越して無責任にしか映りません。結局やっていることは放置ですから。

「匿名性の撤回を求めながら彼女たちと接触できるのですか?」
「どのようにして彼女たちを説得するのですか?」
こう尋ねたくなります。

ただ、この問いかけには沈黙されるのでしょう。
ここに専門部会の限界を感じます。

ちなみに、報告書の表現は正確には「最後まで匿名を貫くことは容認できない」となっています。内密出産なら容認できるという意味でしょう。
この方針についても異論があるのですが、長くなりそうですので後日お伝えしたいと思います。

 

第三者検証委員会への不信感    その1 ~机上の空論~

「こうのとりのゆりかご」専門部会は、いわゆる第三者検証委員会のことですが、
6月29日に第5期検証報告書を公表しました。

これまでの報告書と大きな変わりはないものの、「机上の空論」の印象は拭えません。「ゆりかご」の現場で女性達と接している私としては、検証委員会と女性達の溝は永遠に埋まらないのではないかと絶望感すらあります。

検証委員会は赤ちゃんの遺棄・殺人を防ぎたいと真剣に考えているのか、よもや行政から依頼を受けたので書類審査だけなさっているおつもりなのか、私には不信感があります。

そこで、今後数回に渡って検証報告への見解を述べさせていただこうと思います。

残念な『赤ちゃんポストの真実』

6月30日に小学館から出版された『赤ちゃんポストの真実』を巡っては、数ヶ月間ゴタゴタしました。
きっかけは4月に著者から送られてきた手紙です。
6月に本を出版する旨の内容が書いてありました。

「こうのとりのゆりかご」関連の本は過去に何冊か出版されましたが、通常は事前に企画が説明され、取材や原稿チェックが重ねられた上に出来上がるものです。
今回はそのような過程もないまま、いきなりの出版通知でした。
しかもタイトルが『赤ちゃんポストの真実』という究極本を示唆するものだったため驚きました。

そしてムッとしました。

赤ちゃんの遺棄や殺人を防止する目的でスタートした「こうのとりのゆりかご」(俗称:赤ちゃんポスト)の世界は未だに分からないことばかりで、個人的には一生理解が及ばず結論も出せないだろうと思っています。
そもそも赤ちゃんの遺棄・殺人の防止は、古今東西、多くの人が試行錯誤を重ねてきたテーマです。簡単には解決できません。

このような中で真実を見出し、語るには、相応の情報収集と分析が求められるはずです。ところが、この本の著者は過去2年半慈恵病院を取材していません。

「こうのとりのゆりかご」の世界はめまぐるしく変化します。
開設当初には見えてこなかった点がわかる事もありますし、個人的には自らの考えを改めた事もあります。果たして直近の2年半もの間、慈恵病院を取材しないまま真実を描けるのでしょうか。私は再取材を行ってからの出版を提案しましたが、聞き入れてもらえませんでした。

著者は出版日の1週間前に慈恵病院を訪れ、玄関先で件の本を1冊職員に預けましたが、職員の呼び止めにも応じず、半ば逃げるように去って行ったそうです。

その本が私の手元にあります。

読んでみましたが、この本の伝えたいメッセージは、「赤ちゃんポストの真実はわからない」ではないかと感じています。究極本と思い込んでいた私の早とちりでした。実はこの本のベースとなる文章の原題は、『赤ちゃんポストの虚実』です。
著者が小学館のノンフィクション大賞に応募した作品です。
恐らく暴露本のような性格のものでしょう。

タイトルと中身に乖離がある事例は週刊誌やスポーツ紙で見かけます。過激な見出しは目を引きますが、実際に読んでみると大した内容ではなく、「なーんだ…」と思った経験をした方もいらっしゃると思います。

しかし、この本の著者は熊本日日新聞社の社員です。同社は熊本県民から信頼を寄せられる新聞社で、私も毎日購読し、私自身が影響を受けた記事・文章がたくさんあります。それだけに羊頭狗肉的なタイトル、見切り発車的な編集・出版方針は残念です。もっと取材を重ねていれば、見えてくるもの、読者に伝えるべきものが沢山あったはずです。長くなるので書きませんが、出版元の小学館の不誠実な対応にもがっかりしました。結局6月出版ありきだったようです。

政界や芸能界の暴露本ならともかく、赤ちゃんやお母さんを守りたいという「こうのとりのゆりかご」をテーマにするのなら、真摯な対応があるべきです。人を大切にする事を行動で示せない方が美辞麗句を並べても説得力がありません。

ちなみに私は2年半前、熊本日日新聞記者としての著者から取材を受けたのですが、この時の経験は苦い記憶として残っています。

彼女はそれまで「こうのとりのゆりかご」に否定的な記事を書いていました。ドイツでは赤ちゃんポストの廃止の勧告が出ていて、代わりに内密出産が成果をあげているとも述べていました。ところが私が内密出産導入の検討を表明したところ、彼女は手のひらを返したかのように内密出産を否定する取材を試みたのです。
2017年12月のことです。

当初は内密出産について一般的な質問の取材と思っていました。ところが彼女は、内密出産を実現できない証拠を引き出す質問ばかりを繰り返しました。途中から他の記者さんの取材と違うことに気付き、そしてネガティブな質問ばかりの取材に怒りました。

「あなたは、『ゆりかご』も内密出産も否定して、ではどうやって赤ちゃんの遺棄や殺人に対応しようと言うのですか?」と投げかけました。しかし彼女は「私は意見を述べる立場にないので…。次の質問を行きましょう」という感じで再びネガティブ質問を繰り返すのです。その時私の中で大げさではなく「はめられた」「これはワナだ」という思いがよぎりました。
危険だと思いました。
そこで取材を打ち切りました。
それでも2時間取材にお付き合いしたわけですから、トランプ大統領よりは誠意があると思いますが(笑)

子どもの頃は別として、私は成人して以来30年以上、「はめられた」とか「ワナだ」と思ったことがありません。それだけ平和な人生を送れたのだと思います。ただ、人にそのような思いをさせる記者は職業倫理上許されないのではないでしょうか。

取材対象者に不快な思いをさせる新聞記者が悪いとは思いません。自らにポリシーがあって、それを主張できるなら許されると思います。例えば森友学園問題で官房長官を追求した東京新聞の記者や、トランプ大統領を追求する記者です。今回の著者が自らの主張を述べてくれれば、例え私と異なる意見でも彼女に敬意を表したと思います。

私は「こうのとりのゆりかご」反対論も尊重しなければいけないと考えています。記者さんが「こうのとりのゆりかご」に異を唱えることを否定しません。しかし、ならば赤ちゃんの遺棄・殺人にどう向き合うのか、対案を提示していただく必要があります。この著者のように自らの議論は避け、誘導尋問的な、揚げ足取り的な質問を繰り返す取材姿勢はおかしいと思うのです。そして自らの主張を新聞紙面上で一方的に展開するのは、彼女が著書の中で述べている「ミスリード」に当たります。

この取材の翌日に熊本日日新聞社に抗議をしたところ、上司の方が説明と謝罪に見え、彼女は慈恵病院の担当から外されました。私も、それでこの件は終わっと受け止めていました。しかし2年半を経て彼女はまた戻ってきました。

私は人のことを悪く言うのは好きではありません。
特にこのような公の場で批判を展開するのはどうかとも思います。
しかし黙っていては、いずれ同じ事が繰り返されます。

今回の事に限らず「こうのとりのゆりかご」には、マスメディアとのトラブルが発生した過去があります。中には病院駐車場に車を停め、盗撮行為をしていた報道関係者もいました。患者さんのご主人が、それを見つけ警察に通報したので発覚しましたが、自らの成功のために、そこまでする人さえいます。

「赤ちゃんポスト」というシステムはインパクトがあるだけに、いじられやすいのだと思います。しかし、メディアの方々には、その取材・発信行為が果たして孤立した母子のためなのか、自分のためなのか、問い直しながら接していただきたいのです。

最後に『赤ちゃんポストの真実』の著者が批判だけでなく、「孤立化した母子にどう対応すべきか」というテーマに建設的、現実的な意見を寄せてくれることを願います。

 

姦通の女 ~罪のない者が石を投げよ~

「姦通の女」
1644年にオランダの巨匠レンブラントが描いた作品です。
この絵は聖書のエピソードを表現しています。

イエス・キリストを快く思わない人々がイエスを陥れようと難題をふっかけます。
彼らは不倫の現場で捕らえられた女性をイエスの前に引きずり出し、「神のおきてでは、不倫を働いた者は石を打ちけて殺せという事になっていますが、あなたはどう思うか?」と問いただしたのです。

彼女をゆるせば、イエスはおきて破りで訴えられます。
一方、彼女の死刑を認めれば、普段「罪人の友」「罪人を救う」と言われてきたイエスの存在が否定されることになります。

窮地に立たされる格好になったイエス・キリストです。
まるで「一休さんのとんち話」のようです。

ここでイエスの発した言葉がこれです。
「あなた方の中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」

これを聞いた人々は、一人二人と、その場から去り、最後にはイエスと件の女性だけが残ることになりました。イエスは彼女に、「私もあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」とさとしました。

このエピソードはキリスト教徒の間では有名なもので、行動規範の一つになっているように思います。(キリスト教徒ではない不勉強の私が言うのも恐縮ですが)

ここで言う「罪」とは、日本国の法律に違反する事だけではなく、例えば、「いじめ」「うそ、ごまかし」など日常生活の中で発生する事象、それこそ枚挙にいとまがないほどの事を指しているように思います。
そのレベルで考えると、罪のない人間はいない訳です。

私は先日この絵の複製を購入し、病院の自室に飾りました。

慈恵病院には予期しない妊娠、望まない妊娠をし、お腹が大きくなった女性たちが訪れます。

「どうして避妊しなかった?」
「どうして中絶せずに今まで放っておいたのか?」
「妊娠した赤ちゃんの母親なのだから責任を取りなさい」
「不倫や売春で妊娠したのは自業自得」

こんな言葉を投げかけられ、助けもなく孤立した妊婦さんです。
彼女たちを責めたり叱ったりしても意味がありません。
すでに十分悩み苦しんだ末に慈恵病院に来た人たちですから、追い打ちをかけるように叱っても彼女たちのエネルギーを削ぎ落とすだけです。

そもそも、私自身が彼女たちを叱れるほど「罪のない人間」ではありません。
それを忘れず彼女たちと向き合えるように、この絵を手元に置くことにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

お母さん、ボクを殺さないで!

 

 

仙台駅の前で菊田昇先生の本を読んでいます。

昨日は菊田先生の奥様、ご長男様にお話を伺いました。

菊田昇先生は蓮田太二や私にはとても真似のできない闘いをなさって特別養子縁組制度を導かれました。これは素晴らしいご功績で、救われた母児は少なくありません。

しかし、この制度が実現して30年が経つのに、いまだに遺棄・殺人は無くなりません。

世の中には、「いわゆる常識」「普通」から外れた境遇や思考パターンに至ってしまう女性がいます。彼女たちを責めるのは簡単ですが、彼女たちの多くは過酷な生育歴・人生を歩んできています。

赤ちゃんを産んだら、家族に報告して出生届を出すのが当たり前の事ですが、どうしてもそれをできない女性が(極めて少数ながら)存在するのです。必死になって妊娠・出産を隠し通し、時として自宅で独り出産し、中には赤ちゃんの遺棄や殺人につながるケースさえあります。

この現象を少しでも少なくするには、身内や同僚、友人に知られる事なく出産できるシステムを構築しなければいけません。それが「こうのとりのゆりかご」であり、内密出産であり、匿名出産です。

出産した事実を赤ちゃんにすら秘密にする事を保証しなければ、この問題は改善できません。菊田昇先生でさえ、核心となるこの問題を解決できずに天国へ召されました。

「赤ちゃんの遺棄・殺人防止」⇔「出自を知る権利」

この相対立する課題をどう解決するのか…

頑張らなければいけないけれども、気の重い宿題です(T_T)

 

 

 

危険な孤立出産

医療関係者がいない中でのお産を「孤立出産」と呼びます。

これは母体にとっても赤ちゃんにとっても危険な行為です。
例えば平安時代には100人中20人の妊婦さんは亡くなっていたと言われています。
今から120年前の日本では約250人に1人の死亡。
現代のアフリカでは約200人に1人の死亡です。

この数字は産婦人科の現場にいる者としては信じられないものです。
現代の日本では約29400人に1人の死亡です。
私は産婦人科医になって24年、慈恵病院に勤めて17年になりますが、これまで妊婦さん死亡に遭遇したことがありません。
それほど希なことです。

慈恵病院では1ヶ月に140人前後の女性がお産をされますので、120年前の日本や現代アフリカの死亡頻度なら、慈恵病院だけで1ヶ月半~2ヶ月に1人の母体死亡が発生することになります。

孤立出産は赤ちゃんにとっても危険です。孤立出産の末に新生児を遺棄した事件をたどると、出生時にはすでに赤ちゃんが死亡していたケースが多々あります。これは母親の申告に基づくだけでなく、司法解剖でもそれが裏付けられています。

慈恵病院では年間1500~1700人の赤ちゃんが生まれますが、臨月(妊娠36週以降)に入って突然胎児がお腹の中で亡くなるケースは2~3年に1件です。子宮内胎児死亡の発生率を比較すると、病院内出産では考えられないほど孤立出産では多発しているように思います。

「こうのとりのゆりかご」に赤ちゃんを託す女性のほとんどは孤立出産をしてしますのですが、何とか病院内での出産を実現できないか願うばかりです。

内密出産スタート!?

報道では内密出産がセンセーショナルに取り上げられているように思います。今にも多くの内密出産が発生するかの様です。しかし実際に内密出産や匿名出産になるケースは年間に1~2件ではないかと思います。
しかも、その時期も不明です。
来月かもしれませんが、再来年かもしれません。

妊娠相談の中で、私が最も危機感を感じるのは、「誰にも知られずに赤ちゃんを産む」と言う妊婦さんです。これを孤立出産と呼びますが、母体にとっても赤ちゃんにとっても危険な行為です。

お産の痛みは手の指を切断する痛みに匹敵するとも言われています。
それを誰にも知られずに一人で完遂するには相当な覚悟が要るはずです。
それをしてしまう妊婦さんは、(少なくとも本人にとっては)切羽詰まった事情を抱えています。

「絶対に知られたくない、困る!」のです。

これまで慈恵病院では匿名を前提とした分娩をお断りしていました。
この方針は慈恵のみならず日本国内の産婦人科すべてに当てはまることです。
しかし、これでは「事情を抱えた妊婦さん」との距離を縮めることができません。

「それならいいです」ということで、以後連絡が途絶えてしまったケースが少なからずありました。一方、乳児の遺棄・殺人のニュースが流れると、「あの時のケースではなかったか?」と心配します。

孤立出産をしてしまいそうな女性には、まず彼女たちを認めて受け入れることが大事です。母子の安全が最優先です。

「子どもが自分の親を知ることがないままなのは、かわいそう」
「安易な育児放棄を助長する」
「望まない妊娠をしたのだから、責任をもって名前を明かし育てるべき」

このようなご意見は「こうのとりのゆりかご」と同様に内密出産や匿名出産にも付いて回るでしょう。しかし日本の社会が彼女たちに歩み寄らなければ、危険な孤立出産へ走らせることになり、結果として赤ちゃんの不利益につながります。

最近は内密出産という言葉が一人歩きしているようにも思えますが、目指しているのは匿名妊婦さんの受け入れです。これは内密出産とは別です。つまり最初は匿名でも、理解して安心すれば匿名を撤回する妊婦さんがいるはずです。実際に内密出産で先行するドイツではその傾向が認められています。

彼女たちを認め、受け入れ、助ければ、彼女たちの多くが安心して心を開いてくれるものと信じています。

もちろん一部の妊婦さんは最後まで匿名を貫き通すかもしれません。
それでも彼女たちを信じて、安全な出産を実現させるべきではないでしょうか。

ドイツのように法整備がない中での内密出産や匿名出産には、多くの問題が待ち受けていると思います。試行錯誤の作業だと思いますが、行政の方々にも相談を重ねながら、新たなセーフティーネットの構築を目指していきたいと思います。