第三者検証委員会への不信感    その2 ~匿名を許さない~

専門部会の報告書には、「匿名を貫くことは容認できない」とあります。
子どもを守りたいという気持ちがにじみ出ている表現です。

匿名性を容認するのか否認するのか?

この議論に当たっては、どのくらいの女性が匿名性を求めているのか考える必要があります。私は1万人に1人に認める匿名性を前提としています。

私が過去に報道された事件を調べた範囲では、赤ちゃんの遺棄・殺人事件は国内で年間20~30件発生しています。報道されないケース、つまり人知れず遺棄したり殺したりの数も含めれば年間100件位は発生していると推測します。

一方、2020年の出生数は84万人、人工妊娠中絶数は14万5千人ですから、合わせて年間100万件の妊娠が発生していることになります。もっと細かく言えば、流産・死産がこの数字に入っていませんので、これも合わせると年間110万件くらいになるでしょう。

私が求めているのは、日本で発生する年間100万件の妊娠の中で、赤ちゃんの遺棄・殺人に発展しかねない年間100件について匿名性を容認してもらえませんか、という提案です。1万人に1人に認めるのです。

過去に発生した事件を振り返ると、遺棄・殺人を犯してしまった女性たちは、妊娠の事実が家族、職場に知れることを極端に恐れていました。辛い陣痛を独りで耐えてでも妊娠を知られるわけにはいかない、それくらいの覚悟の人たちです。
望まない妊娠をした女性はたくさんいますが、中でも妊娠の秘匿性を強く求めるごく一部の人たちには、別の対応をしなければ問題を解決できません。

「匿名は容認できない」の姿勢で臨めば彼女たちとの接触は望めません。
専門部会の方針では彼女たちに為す術はないことになります。

彼女たちが必死になって守ろうとしている匿名性を否定せず尊重し、かつ彼女たちを慰め、助けていけば、彼女たちは安心し100人中の8~9割が匿名性を撤回すると見込んでいます。これは今年に入って「秘密で出産したい」と申し出があったケースの経験を踏まえての推測です。

人が自らの出自を知ることは重要です。
可能なら全ての子ども達が出自を知るべきです。
しかし全ての子どもたちが享受できる訳ではありません。
「出自を知ることができない」というハンディキャップを背負う子どもが、ごく一部(1~2万人に1人)で発生することを社会が容認しなければ、赤ちゃんの遺棄・殺人の問題は前進しないと考えます。

ちなみに子どもの福祉という面で考えれば、世の中には虐待というハンディキャプを負っている子ども達がたくさんいます。例えば日本では年間19万件の虐待相談が発生しています。他の子が当たり前と思っている平和な家庭生活を送れないどころか、虐待によって精神疾患に陥ったり、脳に後遺症を残したり、亡くなってしまう子さえいます。

出自を知ることができない子どものハンディキャップも、虐待を受けている子どものハンディキャップも、悲しいことですが厳然として存在します。どんなに防止策を講じてもなくなることはありません。その存在を否認するのは現実逃避です。大事なことはハンディキャップを負った子ども達をどのように支援していくかです。

「匿名を貫くことは容認できない」という言葉は一見すると高い理想を謳っているように見えますが、予期しない・望まない妊娠の現場に直面している私には空虚を通り越して無責任にしか映りません。結局やっていることは放置ですから。

「匿名性の撤回を求めながら彼女たちと接触できるのですか?」
「どのようにして彼女たちを説得するのですか?」
こう尋ねたくなります。

ただ、この問いかけには沈黙されるのでしょう。
ここに専門部会の限界を感じます。

ちなみに、報告書の表現は正確には「最後まで匿名を貫くことは容認できない」となっています。内密出産なら容認できるという意味でしょう。
この方針についても異論があるのですが、長くなりそうですので後日お伝えしたいと思います。