カテゴリー別アーカイブ: こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)

東京の憂うつ その3
母親を捕まえる赤ちゃんポスト

二重扉

賛育会病院が運営する赤ちゃんポスト(ベビーバスケット)では赤ちゃんを預け入れるバスケットにたどり着くには2つの扉を開けなければいけません。
こちらが動画になります。

https://www.youtube.com/watch?v=ANT5oAlF9hs&t=16s

公道に面しているのが第一の扉です。

第二の扉は屋内に入って左手にあるようです。

この扉を開けて中に進むとベビーバスケットがあります。

病院職員と会うことになる

問題なのは、この構造では赤ちゃんの預け入れをした人は賛育会病院職員と接触しなければいけないことです。令和7年3月31日のベビーバスケット開設時に各報道機関が伝えた情報によれば、ベビーバスケットに赤ちゃんが預けられると1分以内に病院職員が駆けつけることになっています。恐らく第一のドアが開けられると職員にアラームが届く仕組みでしょう。

初めてベビーバスケットの建物に入る人が二つの扉を開けて奥に進み、さらに赤ちゃんをバスケットの中に入れブラケットをかぶせれば、それだけで1分は経過します。1分以内に屋外に出ることは極めて困難です。訪れた女性はほぼ間違いなく病院職員と接触することになります。

賛育会のベビーバスケットは赤ちゃんポストではない

このような赤ちゃんの委託方法は「赤ちゃんポスト」ではなく「対面の預け入れ」と呼ばれるものです。それが実在するのがドイツです。ドイツには赤ちゃんの保護を目的とした2つのシステムが存在します。

赤ちゃんポスト:匿名を求める親がベビーボックスの扉を開いて赤ちゃんを中に入れ預ける。預け入れの後に速やかに立ち去れば誰とも接触することはない

対面の預け入れ:匿名を求める親が相談機関や医療機関などを訪れ、そこの職員に赤ちゃんを直接手渡す。匿名が前提ではあるものの、職員と面会することが前提となる。

2つの違いは赤ちゃんを預け入れる際に施設職員と接触しなければならないかどうかです。孤立妊産婦の心理を考える時に、この点が重要になります。それを浮き彫りにするのがアメリカの赤ちゃんポストです。

あえてアメリカで赤ちゃんポストができたのは…

アメリカには「安全な避難所法」(Safe Haven Law)と呼ばれる法律があります。自ら赤ちゃんを育てられない親が病院や消防署、警察署に行って、そこの職員に赤ちゃんを託せば、親が匿名であっても罪に問われず預け入れを許されるという法律です。

病院、消防署、警察のどれかは近場にありますからアクセスしやすく孤立した産婦さんには大きな助けになります。ところが、このシステムでは受け皿として不十分との指摘もあります。2015年3月にAFP通信は次の様に報じています。

「赤ちゃんポスト」導入法案を策定したケーシー・コックス州下院議員(共和党)は、セーフヘイブン法を知らない上、「対面式で子供を預けなければならないことに対する強い不安から、さまざまな問題を抱えた親たちが同法の活用を拒む原因となっている可能性がある」と指摘する。

私も「ゆりかご」18年の経験からこれに同意します。赤ちゃんを抱えた自らの姿を職員に見せるわけにはいかないと極度に恐れる女性がいるのも現実です。当院は内密出産も運営していますが、姿さえ見せることを拒む女性には内密出産は選択肢となりません。

「安全な避難所法」、つまり対面式の預け入れでは十分な対応をできないことから、アメリカでは2016年に赤ちゃんポストが創設されました。

第二の扉の意味

改めて東京のベビーバスケットを考えてみます。
慈恵病院の「ゆりかご」の扉は建物の外に向いています。

赤ちゃんを預け入れた後に立ち去ることができます。
ベビーバスケットの場合、第二の扉を開けた、さらにその先にバスケットがあります。

人目につかないようにするために第一の扉の存在はやむを得ないとしても、第二の扉を開ければ直ちに赤ちゃんを置ける構造にすれば病院職員と接触する可能性は低くなります。
イメージとしては下のような感じです。

女性を確保する意図

しかし、なぜ賛育会病院はベビーバスケットをこのような構造にしたのかが疑問です。世界的に見ても赤ちゃんポストの扉は屋外に向けて設置されているのが一般的です。Googleストリートビューによれば、この場所は元々物品の搬入出口だったようです。

ここに壁を設置した形になっていますが、内部は間仕切りのない一つの部屋ですので、ほぼフリーハンドで構造を決められたはずです。

私は赤ちゃんの預け入れ者を確保するのを意図して、このような構造にしつらえているのではないかと思います。確保した後に説得して身元を明かさせたり、自分で育てさせたりするためです。

基本的には説得を行わない

実親さんが身元を明かしたり翻意して自分で育てたりすることは一見良さそうに見えます。ところが現実には美しい物語になる訳ではありません。私たちの経験では、実親さんが身元を明かしたものの頑なに戸籍に入れることを拒んだ結果、赤ちゃんの戸籍が作れず養育先が決まらなかった事例がありました。また「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)では、2024年3月までの17年間179事例のうち2事例で虐待死が発生しました。いずれも実親さんが赤ちゃんを預けた後に翻意して自ら育てたケースです。

意外に思われるかもしれませんが、実親さんの身元が分からない赤ちゃんの方が速やかに養親さんなど家庭に入ることができ、平和な人生を送っています。それでは出自を知る権利を損なっていると批判する声があるかもしれません。しかし実親さんの泣き叫ぶ声を聞きながら育つ人生より、穏やかで笑い声の絶えない家庭で育つ方が幸福度が高いと思います。

私たちは過去の苦い経験から、赤ちゃんを預け入れに来た女性を引き留めたり説得したりすることを行っていません。

信用が低下する

赤ちゃんポストや内密出産は実母さんの匿名性を保証するのが前提です。それを求めて女性たちは病院を訪れます。それを覆すのは、女性側からすれば「だまし討ち」に等しいことです。「赤ちゃんポストを頼っても、結局身元がばれる」という情報がネットを通じて広まれば、孤立した母子にとって最後の砦である赤ちゃんポストが信用を失い機能しなくなります。

賛育会病院のコンセプト

賛育会病院の運営方針は慈恵病院とは明らかに異なりますし、世界的に見ても特異と言えます。先のブログで挙げましたが、有料内密出産やあからさまな監視カメラなどは理解に苦しみます。

一連の対応状況から感じるのは、「母親に責任を取らせる」というコンセプトです。赤ちゃんのことは守るが母親には責任を取ってもらうという雰囲気を感じます。しかし実際にはその母親を大事にしなければ赤ちゃんを守ることはできないのです。私たちはそれを18年間の経験から学びました。

賛育会病院での開設から1ヶ月が経ちましたが、私たちに寄せられる女性たちの声から東京での対応が私の想像以上に厳しいものであることが分かり始めました。当該女性だけではなく、当院や世間がイメージしているシステムとは異なるものです。

賛育会病院を頼る女性たちへ

ベビーバスケットに赤ちゃんを預ければ、病院の職員が1分以内に駆けつけてあなたと接触するでしょう。病院職員があなたに何も求めずあなたを帰してくれれば問題ありません。あなたに自らの意志で病院職員に伝えたいことがあるのなら、ベビーバスケットに留まって伝えてください。

しかしあなたの意志に反することがあれば断ってください。病院職員があなたを引き留めたり、様々な質問や説得を行ったりするかもしれません。しかしあなたがしゃべりたくないことはしゃべらなくても良いですし、立ち去っても構いません。それが赤ちゃんポストです。

ベビーバスケット、つまり赤ちゃんポストは匿名で赤ちゃんを預かってくれるシステムのことです。それを保証しないのは約束違反です。もしも困った時には熊本の慈恵病院に相談して下さい。

 

 

東京の憂うつ その2
母親を怖がらせる監視カメラ

顔に向けられた監視カメラ

これは賛育会病院(東京都)のベビーバスケット(赤ちゃんポスト)の入り口にある監視カメラです。

扉の左上に設置されていて、

赤ちゃんを預け入れる女性の顔に向けられています。

これでは赤ちゃんを預けに来た女性が警戒して中に入れなくなります。
赤ちゃんポストを頼る女性の多くが自分の身元が明らかになってしまうことを恐れています。その心理は平常時とは異なります。例えばコンビニに入るお客さんは万引きでもしない限りお店の内外に設置された監視カメラを気にしないと思います。しかし赤ちゃんポストを頼る女性は、見つかってしまうことを強く恐れていますので彼女たちを怖がらせないような配慮が求められます。

慈恵病院であった隠し撮り

とは言え、赤ちゃんポストの有無には関係なく病院には監視カメラが必要です。病院だから常に平和というわけではありません。慈恵病院は地方都市である熊本の閑静な住宅街にあります。犯罪とは縁遠い環境に見えますが、それでも数年に1回くらいは職員が不安に感じる人物が訪れることがあります。

「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)の18年間の歴史の中では、「ゆりかご」に来る女性の隠し撮りを試みたカメラマンが一人いました。当時は数ヶ月に1例くらいしか赤ちゃんの預け入れがありませんでしたから、私から見れば「見込みのない努力」でしたが。

この事例のきっかけは病院職員からの報告でした。

「駐車場にタクシーが止まっているんですけど、後部座席の人がビデオカメラを病院に向けています」

タクシーの止まっている場所が駐車場ゲートの隣にある区画でしたから、通勤時には多くの職員がタクシーの横を歩きます。このカメラマンは気付いていなかったようですが、中小病院の駐車場ですからタクシーが居座れば、かなり目立ちます。普通、病院でタクシーが止まる場所と言えば玄関前や客待ちスペースです。駐車場にいるのは商用車ではなく自家用車です。特に夜間はその自家用車ですら数台しかとまりません。

私はカメラマンを派遣したメディアに撮影の中止を求め、これでこの問題は終わったかに見えました。ところが、このカメラマンは性懲りもなく隠し撮りを再開していました。それをお見舞いに来た患者さんのご主人が見つけて警察に通報することになりました。

いわゆる警察沙汰になったわけで、タクシー会社に警察が事情聴取に入るなど大変でした。私もカンカンになってカメラマンを派遣したメディアを出入り禁止にしました。このメディアは「ゆりかご」の特集を企画していたようですが、前のめりが過ぎました。

慈恵病院にもある監視カメラ

「ゆりかご」の扉が開けられるとナースステーションのアラームが鳴る仕組みになっていますが、もしもの断線に備えて、アラーム回線を2回線設けています。

さらにアラームの不具合があっても職員が赤ちゃんに気づけるように赤ちゃんに向けた監視カメラを設け、ナースステーションに設置しているモニターで赤ちゃんの存在に気づけるようにしています。赤ちゃんが置きっぱなしにならないように二重三重の安全装置を設けています。

ただしモニターに映るのは赤ちゃんとベッドだけで、実母さんなど預け入れた人物については手しかとらえていません。

威嚇するカメラ

一般に監視カメラには犯罪防止の役割を持たせることもあります。その場合はあえてカメラを目立つところに置き、相手にカメラの存在を気付かせることで犯罪を防ぎます。しかしベビーバスケットの入り口にあからさまに防犯カメラを設置するのはまずいです。赤ちゃんを預け入れる人は犯罪者ではないのですから、顔にカメラを向けるべきではありません。

一人で出産し、陣痛と出血で体力を消耗した女性たちがベビーバスケットを訪れます。産道の傷の痛みに耐えながら長距離を移動してくる人もいます。周囲に助けを求めることができず、恐怖や不安の中で唯一の助けとなるのが赤ちゃんポストです。

やっとの思いで病院にたどり着いた女性たちを迎えるのが、顔に向けられたカメラのレンズであるのは残念です。自らの出産を知られてしまうことに怯えている女性の心理は平常時とは異なります。カメラの存在は威嚇する物として受け止められます。近づくなと言っているようなものです。

事件を誘発する危険性

女性が扉を開けることをあきらめたときにどうなるのでしょう。
今さら他に頼るあてはありません。東京から遠い熊本まで行くのも無理です。体力も気力も尽き果てていることでしょう。運動場を10周走るように言われた生徒が、走るのが苦手でやっとの思いをして10周目を走りきろうとしているときに、「あと10周走れ」と言われるようなものです。

お金の問題もあります。東京駅から熊本駅まで新幹線で移動するには25000円以上がかかります。赤ちゃんポストを頼る女性にとって、とっさに25000円×2回(往復)を用意するのは現実的ではありません。

絶望してパニックになり病院の敷地や近所の軒下などに赤ちゃんを遺棄することもあり得ます。それは犯罪行為であり絶対に避けたい事態です。孤立妊産婦さんの中には発達症や境界知能の特性を持っている人が一定数います。そのような特性の人は想定外の事態への対応が苦手で、パニックに陥ってしまう恐れがあります。

慈恵病院の苦い経験

過去には慈恵病院の「ゆりかご」の外に赤ちゃんが置かれたことがありました。「ゆりかご」の扉を開ければ、すぐに看護師が出てきて捕まると恐れた女性が取った行動でした。この時は赤ちゃんを置いた女性がすぐに病院に「今預けました」と電話を入れたことで赤ちゃんが看護師に保護され無事でしたが。

私たち病院職員が考えている以上に女性たちが見つかってしまうことを恐れていることを思い知らされた事例でした。

女性に安心してもらえるようにしつらえる

赤ちゃんポストをするからには、女性たちが安心して赤ちゃんを預けられるようにしつらえるのが運営者の責務です。訪れた女性を怖がらせたり混乱させてしまったりすべきではありません。

赤ちゃんを預ける女性に対して、「安易に育児放棄をしている」と批判する人もいます。しかし実際には女性たちの多くが人生の限界点に達して慈恵病院を訪れています。その背景には親による虐待、過干渉があり、学校でのいじめ、職場でのパワハラ、交際男性の裏切りがあります。叩かれ傷つき、よりどころがなく、見ず知らずの熊本まで産んだ我が子を抱えて来る人たちです。

女性のこれまでの苦労をねぎらい支えるのが病院に求められる姿勢です。監視カメラは必要ですが、それは飽くまでも不測の事態に備えるためのものです。賛育会病院には、訪れた女性を怖がらせないような所にカメラを設置し直してしていただきたいと願います。

 

 

「ゆりかご」動画をご覧下さい

「こうのとりのゆりかご」の動画ができました。

【妊娠、出産】赤ちゃんを自分で育てられない方へ。匿名(とくめい)で赤ちゃんを出産できたり、預けたりできます。【こうのとりのゆりかご動画/慈恵病院】 – YouTube

「ゆりかご」は自分では育てられない赤ちゃんを匿名で病院に預け入れるシステムです。ここには過去14年間で159名の赤ちゃんが預け入れられました。
最初に預けられたお子さんは18歳になります。

この動画は「ゆりかご」の現場で生じた出来事をつないで作られました。
私たちの立場からすれば、「あるある」の世界です。
動画中に読み上げられる手紙も、実際に病院を訪れた女性が書いたものを使っていただきました。

赤ちゃんの預け入れを「安易な育児放棄」と言う人がいますが、彼女たちの多くは独りで命がけのお産をした上で「ゆりかご」にたどり着きます。
安易と言うよりも必死の方が当たっています。
彼女たちは誰にも頼ることができず、途方に暮れて慈恵病院に来ます。

妊娠が分かったとたん、彼が電話にもメールにも応じてくれないケースは多々あります。
家族から仲間外れにされている女性もいました。
家族内のイジメです。
外食の時には独り留守番をさせられ、弟妹には許されるのに「アンタは冷蔵庫の中の物を食べてはダメ」と言われ続けて育ったそうです。
母親の機嫌が悪くなると包丁が飛んできたり、髪の毛をつかまれて引っ張り回されるとか…
頼るべき家族がいないのです。

この動画を通じて「ゆりかご」の実情の一端を知っていただきたいですし、妊娠して困った女性たちが相談してくれるきっかけになればと願っています。

最後に。
この動画は俳優さん、監督さん、プロデューサーさんなど多くの方々のお力添えでできました。
私たちの思いが時には素人のわがままに映ったかも知れませんが、嫌な顔もなさらず丁寧に対応していただきました。
深く感謝申し上げます。

オーディションに参加しました

現在「こうのとりのゆりかご」の広報ビデオを制作中です。

先日は赤ちゃんを「ゆりかご」に預ける母親役の役者さんを決めるためのオーディションに参加させていただきました。

この役には福岡県を中心に約60人の応募があったそうですが、ビデオ審査を経て選ばれた12名の候補者が監督達の前で演技をしました。
17~21歳の若い人ばかりでしたが、劇団や芸能プロダクション、モデル事務所に所属していて、入室するときの挨拶などを見ても「オーディションに慣れている」感がある人たちでした。

素人がオーディションに首を突っ込む意味があるのか当初は疑問もありましたが、意外とわかりやすく興味深い体験でした。

広報ビデオの影響力は主役の演技に負うところが大きいですから、依頼者の私たちとしても真剣です。

上の写真は母親が赤ちゃんを抱っこしてバスに乗っている演技を披露しているところです。泣いてしまった赤ちゃんをあやす演技が求められています。

赤ちゃんを産んだり育てたりしたことがない彼女たちには酷な気もしました。
(あやすだけなら7人の赤ちゃんを育てた私の方が上手く演じるかも…)
きっと頭の中に記憶している母親の姿をたどりながら演技しているのでしょう。
それはテレビドラマで見たシーンや、親戚の女性があやす姿、街角で見た母親の姿が基になっているのかもしれません。
その意味では普段から人間を観察していなければ演じることは難しいと思います。
俳優さんには、表現力だけでなく観察力や想像力が求められるのではないかと感じました。

演技してくれた人達は笑顔が魅力的で礼儀正しい女性ばかりでした。AKBなどのアイドル系グループやアナウンサーとして活躍できる顔立ちの人も多くいました。

ただ俳優として生き残るためには、それだけではだめなのだと思います。
素人の私でさえ依頼者の立場になれば、人を引き込むような演技ができる人を求め、食い入るように見つめます。テレビのドラマや映画をぼーっと観ているのとは違います。

今さら言う必要はないかもしれませんが、芸能界は厳しい競争の世界だと思います。4時間かけて12名の演技を見せてもらい、それを感じました。

 

 

 

どうして「こうのとりのゆりかご」に預けてくれなかったのか?

乳児の遺棄事件や殺人事件の報道に接すると、どうして「こうのとりのゆりかご」に預け入れしてくれなかったのか残念に思います。
その事情を教えてもらい、事件の再発防止に向け対策を立てたくて裁判の傍聴を始めました。

被告となった女性に事情を伺うと、
「『赤ちゃんポスト』という名前は聞いたことがあるけれど、どんなものかは知ら       なかった」
「遠くて行くことができなかった」というお返事が多いです。

確かに14年前にスタートした当時は知られていた「ゆりかご」も、最近は知られなくなりました。
特に若年層に知名度がないのが頭の痛いところです。

また、予期しない妊娠の末に独りで出産する女性は経済的に困っていることも少なくなく、遠方から来るには交通費がネックになります。

時間的な制約もあります。
妊娠・出産の事実を家族や職場に知られるわけにはいかないため、日帰りのつもりで慈恵病院を目指す女性がほとんどです。
首都圏から新幹線で赤ちゃんを連れてくる女性はいますが、例えば北海道や東北は厳しいと思います。
赤ちゃん連れということもありますし。

このような実情から、私は各都道府県に1カ所ずつ「ゆりかご」が設置されることを願っています。
自分が居住する地域なら地理的情報がありますし、費用や時間の面でもハードルが下がります。
これを実現できれば不幸な事件も少なくなると思うのですが…

 

 

第三者検証委員会への不信感    その2 ~匿名を許さない~

専門部会の報告書には、「匿名を貫くことは容認できない」とあります。
子どもを守りたいという気持ちがにじみ出ている表現です。

匿名性を容認するのか否認するのか?

この議論に当たっては、どのくらいの女性が匿名性を求めているのか考える必要があります。私は1万人に1人に認める匿名性を前提としています。

私が過去に報道された事件を調べた範囲では、赤ちゃんの遺棄・殺人事件は国内で年間20~30件発生しています。報道されないケース、つまり人知れず遺棄したり殺したりの数も含めれば年間100件位は発生していると推測します。

一方、2020年の出生数は84万人、人工妊娠中絶数は14万5千人ですから、合わせて年間100万件の妊娠が発生していることになります。もっと細かく言えば、流産・死産がこの数字に入っていませんので、これも合わせると年間110万件くらいになるでしょう。

私が求めているのは、日本で発生する年間100万件の妊娠の中で、赤ちゃんの遺棄・殺人に発展しかねない年間100件について匿名性を容認してもらえませんか、という提案です。1万人に1人に認めるのです。

過去に発生した事件を振り返ると、遺棄・殺人を犯してしまった女性たちは、妊娠の事実が家族、職場に知れることを極端に恐れていました。辛い陣痛を独りで耐えてでも妊娠を知られるわけにはいかない、それくらいの覚悟の人たちです。
望まない妊娠をした女性はたくさんいますが、中でも妊娠の秘匿性を強く求めるごく一部の人たちには、別の対応をしなければ問題を解決できません。

「匿名は容認できない」の姿勢で臨めば彼女たちとの接触は望めません。
専門部会の方針では彼女たちに為す術はないことになります。

彼女たちが必死になって守ろうとしている匿名性を否定せず尊重し、かつ彼女たちを慰め、助けていけば、彼女たちは安心し100人中の8~9割が匿名性を撤回すると見込んでいます。これは今年に入って「秘密で出産したい」と申し出があったケースの経験を踏まえての推測です。

人が自らの出自を知ることは重要です。
可能なら全ての子ども達が出自を知るべきです。
しかし全ての子どもたちが享受できる訳ではありません。
「出自を知ることができない」というハンディキャップを背負う子どもが、ごく一部(1~2万人に1人)で発生することを社会が容認しなければ、赤ちゃんの遺棄・殺人の問題は前進しないと考えます。

ちなみに子どもの福祉という面で考えれば、世の中には虐待というハンディキャプを負っている子ども達がたくさんいます。例えば日本では年間19万件の虐待相談が発生しています。他の子が当たり前と思っている平和な家庭生活を送れないどころか、虐待によって精神疾患に陥ったり、脳に後遺症を残したり、亡くなってしまう子さえいます。

出自を知ることができない子どものハンディキャップも、虐待を受けている子どものハンディキャップも、悲しいことですが厳然として存在します。どんなに防止策を講じてもなくなることはありません。その存在を否認するのは現実逃避です。大事なことはハンディキャップを負った子ども達をどのように支援していくかです。

「匿名を貫くことは容認できない」という言葉は一見すると高い理想を謳っているように見えますが、予期しない・望まない妊娠の現場に直面している私には空虚を通り越して無責任にしか映りません。結局やっていることは放置ですから。

「匿名性の撤回を求めながら彼女たちと接触できるのですか?」
「どのようにして彼女たちを説得するのですか?」
こう尋ねたくなります。

ただ、この問いかけには沈黙されるのでしょう。
ここに専門部会の限界を感じます。

ちなみに、報告書の表現は正確には「最後まで匿名を貫くことは容認できない」となっています。内密出産なら容認できるという意味でしょう。
この方針についても異論があるのですが、長くなりそうですので後日お伝えしたいと思います。

 

第三者検証委員会への不信感    その1 ~机上の空論~

「こうのとりのゆりかご」専門部会は、いわゆる第三者検証委員会のことですが、
6月29日に第5期検証報告書を公表しました。

これまでの報告書と大きな変わりはないものの、「机上の空論」の印象は拭えません。「ゆりかご」の現場で女性達と接している私としては、検証委員会と女性達の溝は永遠に埋まらないのではないかと絶望感すらあります。

検証委員会は赤ちゃんの遺棄・殺人を防ぎたいと真剣に考えているのか、よもや行政から依頼を受けたので書類審査だけなさっているおつもりなのか、私には不信感があります。

そこで、今後数回に渡って検証報告への見解を述べさせていただこうと思います。

残念な『赤ちゃんポストの真実』

6月30日に小学館から出版された『赤ちゃんポストの真実』を巡っては、数ヶ月間ゴタゴタしました。
きっかけは4月に著者から送られてきた手紙です。
6月に本を出版する旨の内容が書いてありました。

「こうのとりのゆりかご」関連の本は過去に何冊か出版されましたが、通常は事前に企画が説明され、取材や原稿チェックが重ねられた上に出来上がるものです。
今回はそのような過程もないまま、いきなりの出版通知でした。
しかもタイトルが『赤ちゃんポストの真実』という究極本を示唆するものだったため驚きました。

そしてムッとしました。

赤ちゃんの遺棄や殺人を防止する目的でスタートした「こうのとりのゆりかご」(俗称:赤ちゃんポスト)の世界は未だに分からないことばかりで、個人的には一生理解が及ばず結論も出せないだろうと思っています。
そもそも赤ちゃんの遺棄・殺人の防止は、古今東西、多くの人が試行錯誤を重ねてきたテーマです。簡単には解決できません。

このような中で真実を見出し、語るには、相応の情報収集と分析が求められるはずです。ところが、この本の著者は過去2年半慈恵病院を取材していません。

「こうのとりのゆりかご」の世界はめまぐるしく変化します。
開設当初には見えてこなかった点がわかる事もありますし、個人的には自らの考えを改めた事もあります。果たして直近の2年半もの間、慈恵病院を取材しないまま真実を描けるのでしょうか。私は再取材を行ってからの出版を提案しましたが、聞き入れてもらえませんでした。

著者は出版日の1週間前に慈恵病院を訪れ、玄関先で件の本を1冊職員に預けましたが、職員の呼び止めにも応じず、半ば逃げるように去って行ったそうです。

その本が私の手元にあります。

読んでみましたが、この本の伝えたいメッセージは、「赤ちゃんポストの真実はわからない」ではないかと感じています。究極本と思い込んでいた私の早とちりでした。実はこの本のベースとなる文章の原題は、『赤ちゃんポストの虚実』です。
著者が小学館のノンフィクション大賞に応募した作品です。
恐らく暴露本のような性格のものでしょう。

タイトルと中身に乖離がある事例は週刊誌やスポーツ紙で見かけます。過激な見出しは目を引きますが、実際に読んでみると大した内容ではなく、「なーんだ…」と思った経験をした方もいらっしゃると思います。

しかし、この本の著者は熊本日日新聞社の社員です。同社は熊本県民から信頼を寄せられる新聞社で、私も毎日購読し、私自身が影響を受けた記事・文章がたくさんあります。それだけに羊頭狗肉的なタイトル、見切り発車的な編集・出版方針は残念です。もっと取材を重ねていれば、見えてくるもの、読者に伝えるべきものが沢山あったはずです。長くなるので書きませんが、出版元の小学館の不誠実な対応にもがっかりしました。結局6月出版ありきだったようです。

政界や芸能界の暴露本ならともかく、赤ちゃんやお母さんを守りたいという「こうのとりのゆりかご」をテーマにするのなら、真摯な対応があるべきです。人を大切にする事を行動で示せない方が美辞麗句を並べても説得力がありません。

ちなみに私は2年半前、熊本日日新聞記者としての著者から取材を受けたのですが、この時の経験は苦い記憶として残っています。

彼女はそれまで「こうのとりのゆりかご」に否定的な記事を書いていました。ドイツでは赤ちゃんポストの廃止の勧告が出ていて、代わりに内密出産が成果をあげているとも述べていました。ところが私が内密出産導入の検討を表明したところ、彼女は手のひらを返したかのように内密出産を否定する取材を試みたのです。
2017年12月のことです。

当初は内密出産について一般的な質問の取材と思っていました。ところが彼女は、内密出産を実現できない証拠を引き出す質問ばかりを繰り返しました。途中から他の記者さんの取材と違うことに気付き、そしてネガティブな質問ばかりの取材に怒りました。

「あなたは、『ゆりかご』も内密出産も否定して、ではどうやって赤ちゃんの遺棄や殺人に対応しようと言うのですか?」と投げかけました。しかし彼女は「私は意見を述べる立場にないので…。次の質問を行きましょう」という感じで再びネガティブ質問を繰り返すのです。その時私の中で大げさではなく「はめられた」「これはワナだ」という思いがよぎりました。
危険だと思いました。
そこで取材を打ち切りました。
それでも2時間取材にお付き合いしたわけですから、トランプ大統領よりは誠意があると思いますが(笑)

子どもの頃は別として、私は成人して以来30年以上、「はめられた」とか「ワナだ」と思ったことがありません。それだけ平和な人生を送れたのだと思います。ただ、人にそのような思いをさせる記者は職業倫理上許されないのではないでしょうか。

取材対象者に不快な思いをさせる新聞記者が悪いとは思いません。自らにポリシーがあって、それを主張できるなら許されると思います。例えば森友学園問題で官房長官を追求した東京新聞の記者や、トランプ大統領を追求する記者です。今回の著者が自らの主張を述べてくれれば、例え私と異なる意見でも彼女に敬意を表したと思います。

私は「こうのとりのゆりかご」反対論も尊重しなければいけないと考えています。記者さんが「こうのとりのゆりかご」に異を唱えることを否定しません。しかし、ならば赤ちゃんの遺棄・殺人にどう向き合うのか、対案を提示していただく必要があります。この著者のように自らの議論は避け、誘導尋問的な、揚げ足取り的な質問を繰り返す取材姿勢はおかしいと思うのです。そして自らの主張を新聞紙面上で一方的に展開するのは、彼女が著書の中で述べている「ミスリード」に当たります。

この取材の翌日に熊本日日新聞社に抗議をしたところ、上司の方が説明と謝罪に見え、彼女は慈恵病院の担当から外されました。私も、それでこの件は終わっと受け止めていました。しかし2年半を経て彼女はまた戻ってきました。

私は人のことを悪く言うのは好きではありません。
特にこのような公の場で批判を展開するのはどうかとも思います。
しかし黙っていては、いずれ同じ事が繰り返されます。

今回の事に限らず「こうのとりのゆりかご」には、マスメディアとのトラブルが発生した過去があります。中には病院駐車場に車を停め、盗撮行為をしていた報道関係者もいました。患者さんのご主人が、それを見つけ警察に通報したので発覚しましたが、自らの成功のために、そこまでする人さえいます。

「赤ちゃんポスト」というシステムはインパクトがあるだけに、いじられやすいのだと思います。しかし、メディアの方々には、その取材・発信行為が果たして孤立した母子のためなのか、自分のためなのか、問い直しながら接していただきたいのです。

最後に『赤ちゃんポストの真実』の著者が批判だけでなく、「孤立化した母子にどう対応すべきか」というテーマに建設的、現実的な意見を寄せてくれることを願います。

 

姦通の女 ~罪のない者が石を投げよ~

「姦通の女」
1644年にオランダの巨匠レンブラントが描いた作品です。
この絵は聖書のエピソードを表現しています。

イエス・キリストを快く思わない人々がイエスを陥れようと難題をふっかけます。
彼らは不倫の現場で捕らえられた女性をイエスの前に引きずり出し、「神のおきてでは、不倫を働いた者は石を打ちけて殺せという事になっていますが、あなたはどう思うか?」と問いただしたのです。

彼女をゆるせば、イエスはおきて破りで訴えられます。
一方、彼女の死刑を認めれば、普段「罪人の友」「罪人を救う」と言われてきたイエスの存在が否定されることになります。

窮地に立たされる格好になったイエス・キリストです。
まるで「一休さんのとんち話」のようです。

ここでイエスの発した言葉がこれです。
「あなた方の中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」

これを聞いた人々は、一人二人と、その場から去り、最後にはイエスと件の女性だけが残ることになりました。イエスは彼女に、「私もあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」とさとしました。

このエピソードはキリスト教徒の間では有名なもので、行動規範の一つになっているように思います。(キリスト教徒ではない不勉強の私が言うのも恐縮ですが)

ここで言う「罪」とは、日本国の法律に違反する事だけではなく、例えば、「いじめ」「うそ、ごまかし」など日常生活の中で発生する事象、それこそ枚挙にいとまがないほどの事を指しているように思います。
そのレベルで考えると、罪のない人間はいない訳です。

私は先日この絵の複製を購入し、病院の自室に飾りました。

慈恵病院には予期しない妊娠、望まない妊娠をし、お腹が大きくなった女性たちが訪れます。

「どうして避妊しなかった?」
「どうして中絶せずに今まで放っておいたのか?」
「妊娠した赤ちゃんの母親なのだから責任を取りなさい」
「不倫や売春で妊娠したのは自業自得」

こんな言葉を投げかけられ、助けもなく孤立した妊婦さんです。
彼女たちを責めたり叱ったりしても意味がありません。
すでに十分悩み苦しんだ末に慈恵病院に来た人たちですから、追い打ちをかけるように叱っても彼女たちのエネルギーを削ぎ落とすだけです。

そもそも、私自身が彼女たちを叱れるほど「罪のない人間」ではありません。
それを忘れず彼女たちと向き合えるように、この絵を手元に置くことにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

お母さん、ボクを殺さないで!

 

 

仙台駅の前で菊田昇先生の本を読んでいます。

昨日は菊田先生の奥様、ご長男様にお話を伺いました。

菊田昇先生は蓮田太二や私にはとても真似のできない闘いをなさって特別養子縁組制度を導かれました。これは素晴らしいご功績で、救われた母児は少なくありません。

しかし、この制度が実現して30年が経つのに、いまだに遺棄・殺人は無くなりません。

世の中には、「いわゆる常識」「普通」から外れた境遇や思考パターンに至ってしまう女性がいます。彼女たちを責めるのは簡単ですが、彼女たちの多くは過酷な生育歴・人生を歩んできています。

赤ちゃんを産んだら、家族に報告して出生届を出すのが当たり前の事ですが、どうしてもそれをできない女性が(極めて少数ながら)存在するのです。必死になって妊娠・出産を隠し通し、時として自宅で独り出産し、中には赤ちゃんの遺棄や殺人につながるケースさえあります。

この現象を少しでも少なくするには、身内や同僚、友人に知られる事なく出産できるシステムを構築しなければいけません。それが「こうのとりのゆりかご」であり、内密出産であり、匿名出産です。

出産した事実を赤ちゃんにすら秘密にする事を保証しなければ、この問題は改善できません。菊田昇先生でさえ、核心となるこの問題を解決できずに天国へ召されました。

「赤ちゃんの遺棄・殺人防止」⇔「出自を知る権利」

この相対立する課題をどう解決するのか…

頑張らなければいけないけれども、気の重い宿題です(T_T)