東京の憂うつ その3
母親を捕まえる赤ちゃんポスト

二重扉

賛育会病院が運営する赤ちゃんポスト(ベビーバスケット)では赤ちゃんを預け入れるバスケットにたどり着くには2つの扉を開けなければいけません。
こちらが動画になります。

https://www.youtube.com/watch?v=ANT5oAlF9hs&t=16s

公道に面しているのが第一の扉です。

第二の扉は屋内に入って左手にあるようです。

この扉を開けて中に進むとベビーバスケットがあります。

病院職員と会うことになる

問題なのは、この構造では赤ちゃんの預け入れをした人は賛育会病院職員と接触しなければいけないことです。令和7年3月31日のベビーバスケット開設時に各報道機関が伝えた情報によれば、ベビーバスケットに赤ちゃんが預けられると1分以内に病院職員が駆けつけることになっています。恐らく第一のドアが開けられると職員にアラームが届く仕組みでしょう。

初めてベビーバスケットの建物に入る人が二つの扉を開けて奥に進み、さらに赤ちゃんをバスケットの中に入れブラケットをかぶせれば、それだけで1分は経過します。1分以内に屋外に出ることは極めて困難です。訪れた女性はほぼ間違いなく病院職員と接触することになります。

賛育会のベビーバスケットは赤ちゃんポストではない

このような赤ちゃんの委託方法は「赤ちゃんポスト」ではなく「対面の預け入れ」と呼ばれるものです。それが実在するのがドイツです。ドイツには赤ちゃんの保護を目的とした2つのシステムが存在します。

赤ちゃんポスト:匿名を求める親がベビーボックスの扉を開いて赤ちゃんを中に入れ預ける。預け入れの後に速やかに立ち去れば誰とも接触することはない

対面の預け入れ:匿名を求める親が相談機関や医療機関などを訪れ、そこの職員に赤ちゃんを直接手渡す。匿名が前提ではあるものの、職員と面会することが前提となる。

2つの違いは赤ちゃんを預け入れる際に施設職員と接触しなければならないかどうかです。孤立妊産婦の心理を考える時に、この点が重要になります。それを浮き彫りにするのがアメリカの赤ちゃんポストです。

あえてアメリカで赤ちゃんポストができたのは…

アメリカには「安全な避難所法」(Safe Haven Law)と呼ばれる法律があります。自ら赤ちゃんを育てられない親が病院や消防署、警察署に行って、そこの職員に赤ちゃんを託せば、親が匿名であっても罪に問われず預け入れを許されるという法律です。

病院、消防署、警察のどれかは近場にありますからアクセスしやすく孤立した産婦さんには大きな助けになります。ところが、このシステムでは受け皿として不十分との指摘もあります。2015年3月にAFP通信は次の様に報じています。

「赤ちゃんポスト」導入法案を策定したケーシー・コックス州下院議員(共和党)は、セーフヘイブン法を知らない上、「対面式で子供を預けなければならないことに対する強い不安から、さまざまな問題を抱えた親たちが同法の活用を拒む原因となっている可能性がある」と指摘する。

私も「ゆりかご」18年の経験からこれに同意します。赤ちゃんを抱えた自らの姿を職員に見せるわけにはいかないと極度に恐れる女性がいるのも現実です。当院は内密出産も運営していますが、姿さえ見せることを拒む女性には内密出産は選択肢となりません。

「安全な避難所法」、つまり対面式の預け入れでは十分な対応をできないことから、アメリカでは2016年に赤ちゃんポストが創設されました。

第二の扉の意味

改めて東京のベビーバスケットを考えてみます。
慈恵病院の「ゆりかご」の扉は建物の外に向いています。

赤ちゃんを預け入れた後に立ち去ることができます。
ベビーバスケットの場合、第二の扉を開けた、さらにその先にバスケットがあります。

人目につかないようにするために第一の扉の存在はやむを得ないとしても、第二の扉を開ければ直ちに赤ちゃんを置ける構造にすれば病院職員と接触する可能性は低くなります。
イメージとしては下のような感じです。

女性を確保する意図

しかし、なぜ賛育会病院はベビーバスケットをこのような構造にしたのかが疑問です。世界的に見ても赤ちゃんポストの扉は屋外に向けて設置されているのが一般的です。Googleストリートビューによれば、この場所は元々物品の搬入出口だったようです。

ここに壁を設置した形になっていますが、内部は間仕切りのない一つの部屋ですので、ほぼフリーハンドで構造を決められたはずです。

私は赤ちゃんの預け入れ者を確保するのを意図して、このような構造にしつらえているのではないかと思います。確保した後に説得して身元を明かさせたり、自分で育てさせたりするためです。

基本的には説得を行わない

実親さんが身元を明かしたり翻意して自分で育てたりすることは一見良さそうに見えます。ところが現実には美しい物語になる訳ではありません。私たちの経験では、実親さんが身元を明かしたものの頑なに戸籍に入れることを拒んだ結果、赤ちゃんの戸籍が作れず養育先が決まらなかった事例がありました。また「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)では、2024年3月までの17年間179事例のうち2事例で虐待死が発生しました。いずれも実親さんが赤ちゃんを預けた後に翻意して自ら育てたケースです。

意外に思われるかもしれませんが、実親さんの身元が分からない赤ちゃんの方が速やかに養親さんなど家庭に入ることができ、平和な人生を送っています。それでは出自を知る権利を損なっていると批判する声があるかもしれません。しかし実親さんの泣き叫ぶ声を聞きながら育つ人生より、穏やかで笑い声の絶えない家庭で育つ方が幸福度が高いと思います。

私たちは過去の苦い経験から、赤ちゃんを預け入れに来た女性を引き留めたり説得したりすることを行っていません。

信用が低下する

赤ちゃんポストや内密出産は実母さんの匿名性を保証するのが前提です。それを求めて女性たちは病院を訪れます。それを覆すのは、女性側からすれば「だまし討ち」に等しいことです。「赤ちゃんポストを頼っても、結局身元がばれる」という情報がネットを通じて広まれば、孤立した母子にとって最後の砦である赤ちゃんポストが信用を失い機能しなくなります。

賛育会病院のコンセプト

賛育会病院の運営方針は慈恵病院とは明らかに異なりますし、世界的に見ても特異と言えます。先のブログで挙げましたが、有料内密出産やあからさまな監視カメラなどは理解に苦しみます。

一連の対応状況から感じるのは、「母親に責任を取らせる」というコンセプトです。赤ちゃんのことは守るが母親には責任を取ってもらうという雰囲気を感じます。しかし実際にはその母親を大事にしなければ赤ちゃんを守ることはできないのです。私たちはそれを18年間の経験から学びました。

賛育会病院での開設から1ヶ月が経ちましたが、私たちに寄せられる女性たちの声から東京での対応が私の想像以上に厳しいものであることが分かり始めました。当該女性だけではなく、当院や世間がイメージしているシステムとは異なるものです。

賛育会病院を頼る女性たちへ

ベビーバスケットに赤ちゃんを預ければ、病院の職員が1分以内に駆けつけてあなたと接触するでしょう。病院職員があなたに何も求めずあなたを帰してくれれば問題ありません。あなたに自らの意志で病院職員に伝えたいことがあるのなら、ベビーバスケットに留まって伝えてください。

しかしあなたの意志に反することがあれば断ってください。病院職員があなたを引き留めたり、様々な質問や説得を行ったりするかもしれません。しかしあなたがしゃべりたくないことはしゃべらなくても良いですし、立ち去っても構いません。それが赤ちゃんポストです。

ベビーバスケット、つまり赤ちゃんポストは匿名で赤ちゃんを預かってくれるシステムのことです。それを保証しないのは約束違反です。もしも困った時には熊本の慈恵病院に相談して下さい。

 

 

東京の憂うつ その2
母親を怖がらせる監視カメラ

顔に向けられた監視カメラ

これは賛育会病院(東京都)のベビーバスケット(赤ちゃんポスト)の入り口にある監視カメラです。

扉の左上に設置されていて、

赤ちゃんを預け入れる女性の顔に向けられています。

これでは赤ちゃんを預けに来た女性が警戒して中に入れなくなります。
赤ちゃんポストを頼る女性の多くが自分の身元が明らかになってしまうことを恐れています。その心理は平常時とは異なります。例えばコンビニに入るお客さんは万引きでもしない限りお店の内外に設置された監視カメラを気にしないと思います。しかし赤ちゃんポストを頼る女性は、見つかってしまうことを強く恐れていますので彼女たちを怖がらせないような配慮が求められます。

慈恵病院であった隠し撮り

とは言え、赤ちゃんポストの有無には関係なく病院には監視カメラが必要です。病院だから常に平和というわけではありません。慈恵病院は地方都市である熊本の閑静な住宅街にあります。犯罪とは縁遠い環境に見えますが、それでも数年に1回くらいは職員が不安に感じる人物が訪れることがあります。

「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)の18年間の歴史の中では、「ゆりかご」に来る女性の隠し撮りを試みたカメラマンが一人いました。当時は数ヶ月に1例くらいしか赤ちゃんの預け入れがありませんでしたから、私から見れば「見込みのない努力」でしたが。

この事例のきっかけは病院職員からの報告でした。

「駐車場にタクシーが止まっているんですけど、後部座席の人がビデオカメラを病院に向けています」

タクシーの止まっている場所が駐車場ゲートの隣にある区画でしたから、通勤時には多くの職員がタクシーの横を歩きます。このカメラマンは気付いていなかったようですが、中小病院の駐車場ですからタクシーが居座れば、かなり目立ちます。普通、病院でタクシーが止まる場所と言えば玄関前や客待ちスペースです。駐車場にいるのは商用車ではなく自家用車です。特に夜間はその自家用車ですら数台しかとまりません。

私はカメラマンを派遣したメディアに撮影の中止を求め、これでこの問題は終わったかに見えました。ところが、このカメラマンは性懲りもなく隠し撮りを再開していました。それをお見舞いに来た患者さんのご主人が見つけて警察に通報することになりました。

いわゆる警察沙汰になったわけで、タクシー会社に警察が事情聴取に入るなど大変でした。私もカンカンになってカメラマンを派遣したメディアを出入り禁止にしました。このメディアは「ゆりかご」の特集を企画していたようですが、前のめりが過ぎました。

慈恵病院にもある監視カメラ

「ゆりかご」の扉が開けられるとナースステーションのアラームが鳴る仕組みになっていますが、もしもの断線に備えて、アラーム回線を2回線設けています。

さらにアラームの不具合があっても職員が赤ちゃんに気づけるように赤ちゃんに向けた監視カメラを設け、ナースステーションに設置しているモニターで赤ちゃんの存在に気づけるようにしています。赤ちゃんが置きっぱなしにならないように二重三重の安全装置を設けています。

ただしモニターに映るのは赤ちゃんとベッドだけで、実母さんなど預け入れた人物については手しかとらえていません。

威嚇するカメラ

一般に監視カメラには犯罪防止の役割を持たせることもあります。その場合はあえてカメラを目立つところに置き、相手にカメラの存在を気付かせることで犯罪を防ぎます。しかしベビーバスケットの入り口にあからさまに防犯カメラを設置するのはまずいです。赤ちゃんを預け入れる人は犯罪者ではないのですから、顔にカメラを向けるべきではありません。

一人で出産し、陣痛と出血で体力を消耗した女性たちがベビーバスケットを訪れます。産道の傷の痛みに耐えながら長距離を移動してくる人もいます。周囲に助けを求めることができず、恐怖や不安の中で唯一の助けとなるのが赤ちゃんポストです。

やっとの思いで病院にたどり着いた女性たちを迎えるのが、顔に向けられたカメラのレンズであるのは残念です。自らの出産を知られてしまうことに怯えている女性の心理は平常時とは異なります。カメラの存在は威嚇する物として受け止められます。近づくなと言っているようなものです。

事件を誘発する危険性

女性が扉を開けることをあきらめたときにどうなるのでしょう。
今さら他に頼るあてはありません。東京から遠い熊本まで行くのも無理です。体力も気力も尽き果てていることでしょう。運動場を10周走るように言われた生徒が、走るのが苦手でやっとの思いをして10周目を走りきろうとしているときに、「あと10周走れ」と言われるようなものです。

お金の問題もあります。東京駅から熊本駅まで新幹線で移動するには25000円以上がかかります。赤ちゃんポストを頼る女性にとって、とっさに25000円×2回(往復)を用意するのは現実的ではありません。

絶望してパニックになり病院の敷地や近所の軒下などに赤ちゃんを遺棄することもあり得ます。それは犯罪行為であり絶対に避けたい事態です。孤立妊産婦さんの中には発達症や境界知能の特性を持っている人が一定数います。そのような特性の人は想定外の事態への対応が苦手で、パニックに陥ってしまう恐れがあります。

慈恵病院の苦い経験

過去には慈恵病院の「ゆりかご」の外に赤ちゃんが置かれたことがありました。「ゆりかご」の扉を開ければ、すぐに看護師が出てきて捕まると恐れた女性が取った行動でした。この時は赤ちゃんを置いた女性がすぐに病院に「今預けました」と電話を入れたことで赤ちゃんが看護師に保護され無事でしたが。

私たち病院職員が考えている以上に女性たちが見つかってしまうことを恐れていることを思い知らされた事例でした。

女性に安心してもらえるようにしつらえる

赤ちゃんポストをするからには、女性たちが安心して赤ちゃんを預けられるようにしつらえるのが運営者の責務です。訪れた女性を怖がらせたり混乱させてしまったりすべきではありません。

赤ちゃんを預ける女性に対して、「安易に育児放棄をしている」と批判する人もいます。しかし実際には女性たちの多くが人生の限界点に達して慈恵病院を訪れています。その背景には親による虐待、過干渉があり、学校でのいじめ、職場でのパワハラ、交際男性の裏切りがあります。叩かれ傷つき、よりどころがなく、見ず知らずの熊本まで産んだ我が子を抱えて来る人たちです。

女性のこれまでの苦労をねぎらい支えるのが病院に求められる姿勢です。監視カメラは必要ですが、それは飽くまでも不測の事態に備えるためのものです。賛育会病院には、訪れた女性を怖がらせないような所にカメラを設置し直してしていただきたいと願います。

 

 

戦傷外科の世界

私はかつて宮田先生のご講演をうかがい衝撃を受けました。

人間の体を効果的に損傷するために銃が工夫を重ねて作り上げられてきたことの解説から始まり、さらに損傷された兵士の治療経験を説明されました。宮田 先生のお話しぶりは淡々としたものでしたが、講演内容には人間の業の深さを感じずにはいられませんでした。

最近のウクライナや中国の情勢を見ると、日本も戦争に無縁であり続けることは難しいかもしれません。そのような中で、日本人医師が目撃した戦場の現実と治療の現場を垣間見ていただくことは貴重だと思います。

兵器として日本で話題になるのは核兵器です。被爆国としては当然のことですが、個人的には現実感に乏しいように思います。危機感は保たなければいけませんが原爆投下から80年が経ちますし、禁断の兵器的な位置付けだと受け止めています。

しかし講演で取り上げられる兵器、武器は今でも戦場で使われているものです。私は『ゴルゴ13』を愛読していました。銃や戦闘機、軍艦などには独特の美しさを感じることがあります。しかし宮田先生のご講演を伺った時、自分の想像力のなさや脳天気を恥じました。

いったん立ち止まって考えていただくことも大事かと思います。医療関係者のみならず学生さん、ジャーナリストなど多くの方にご参加いただくことを願っています。

 

東京の憂うつ その1
~有料内密出産~

宇宙人?

東京の賛育会病院が始めた有料の内密出産は驚きでした。ニュースを見て私が最初に思ったのは、「賛育会病院はどのような妊婦さんを想定しているのだろう?」でした。

私は有料内密出産を受け入れる女性に会ったことがありませんし、それをできる人がどんな人なのか思いつきません。私の中では「50万円を持っている女性」「内密出産を求める女性」はどうしても結びつかないのです。誤解を恐れずに言わせてもらいますと宇宙人です。出会ったことはないけれど、もしもいるなら会ってみたい人です。

自然分娩50万 帝王切開80万

内密出産が有料ということは既に複数の報道機関が報じていますので間違いはないと思います。例えば令和7年3月31日に日本テレビは次のように報じています。

「内密出産の場合、帝王切開か普通分娩かで費用は異なるものの、約50万円ほどかかる費用は『原則本人負担』だということです。病院側は『話し合いの上でどのようにお金を払っていくか相談する』と述べました」

この情報の通りなら自然分娩で50万円、帝王切開で80~90万円かかる費用を出産した女性が自己負担することになります。健康保険に加入していて、かつ匿名でなければ出産一時金50万円が支給されますし帝王切開によるオーバー分も健康保険がカバーしてくれますが、匿名ではそのようなお金はもらえません

有料は非現実的

そもそも50万円のお金を貯める能力を持つ人は内密出産のお世話にはなりません。有料では女性たちに「内密出産の看板はあるけれど使わないでね」と言っているようなものです。

慈恵病院は過去3年4ヶ月で48例の内密出産を経験しましたが、50万円を現金で用意できる女性は皆無でした。それどころか熊本に来る旅費すらなく、病院が旅費を送金して新幹線の切符を買ってもらったケースもありました。

日本は年間12万件の人工妊娠中絶が行われている国です。倫理的問題は別として、日本では予期しない・望まない妊娠の解決法として中絶は一般的ですから、50万円の蓄えがある人でしたら中絶を選択するでしょう。

東京からの問い合わせ5件

3月31日の発表以来、慈恵病院には東京在住の女性から5件の内密出産相談がありました。「東京で内密出産ができると知ったのですが、お金がなくて。熊本でできますか?」という訴えでした。

これらの案件について私は賛育会病院に電話やメールで問い合わせを行ったのですが、全く返事をいただけていません。

患者さんの困りごとの受け皿となるべき医療機関の姿勢として如何なものかと思います。せめて「対応できる」「対応できない」の返事を送るのが医療機関の責任ある姿だと思うのですが。

一方、慈恵病院で内密出産をした女性たちからは「ニュースで見たけれど有料の内密出産なんてムリです」と憤りの声が寄せられました。やはり有料内密出産は現実的ではありません。

収入はあるのにお金がない

お金を貯めるには稼ぐ能力だけでなく、お金を管理する能力が求められます。

かつて慈恵病院にたどり着いた女性の中には、夜の仕事で1ヶ月に80万円の収入を得ていた人もいましたが、手持ちのお金はほとんどありませんでした。お金を手に入れても、それを彼がいるホストクラブにつぎ込んでしまったからです。

小さい頃から人に愛されたり大事にされたりしたことがなかった女性が、女性を食い物にしているような男性に貢ぎ続けることがあります。搾取し暴力を振るう男性であっても、時々優しくして抱きしめてくれると女性はそれにすがり依存してしまいます。

お金を貯めるには「お金を遣わない自制心」や「自らの行動が招く結果ついての予測力」、「人を見定める目」などいくつかの能力が求められます。残念ながら内密出産を求める女性の中には、そのような能力に乏しい人が少なからずいます。

もちろん、その能力を持つ人もいましたが、学生さんを始め収入自体が少ない人にとっては50万円、90万円はとても手元に持てる金額ではありません。賛育会病院の関係者は「人生の一大事なら50万円くらい出せるだろう」と思っているのかもしれませんが、私に言わせれば孤立妊娠女性たちの実情を理解していない、「できる人」の言い分です。

分割払いも現実的ではない

先の報道記事には「話し合いの上でどのようにお金を払っていくか相談する」とありました。恐らく分割払いのことでしょう。

しかし収入が少ない人にとって50万円の借金を返すのは大変なことです。彼女たちの中には既にカードローンで破綻している人もいるわけですから、借金の返済には馴染みません。

病院が「借金取り」になってしまいますと、実母さんは病院にネガティブな感情を抱き音信不通になる恐れがあります。

生まれた赤ちゃんが将来自らの出自を知りたいと考えたとき、実母さんがそれに協力してくれるかどうかは重要です。実母さんはキーパーソンですから、子どもの出自を知る権利を尊重する観点からも実母さんと病院との関係悪化は避けたいところです。

職員もストレス

有料内密出産は医療の現場に立つ職員さんにもストレスです。内密出産では陣痛が始まった女性が、病院の窓口に飛び込むこともあります。医療者としては陣痛で苦しんでいる女性に「お金を払えますか?」とか「分割で払えますか?」などとお金の交渉をするのははばかられます。

とりあえずお金の話を抜きにして出産までこぎ着けるでしょう。しかし出産後にお金の話をするとき、女性側が「そんな話は聞いていない、知らなかった」と拒む可能性もあります。

今は東京の内密出産が始まって1ヶ月ですから有料内密出産がマスコミで取り上げられていますが、数ヶ月すればこの情報も埋没してしまいます。有料を知らずに助けを求める女性も出てくるでしょう。

内密出産は50万円のお金を払えない人ばかりが来る世界です。現場の職員さんが毎回お金の交渉をしなければならないストレスを抱えながら医療活動を行うのは問題です。

有料は世界初

このような事情から有料の内密出産は現実的ではありませんし好ましくありません。世界的にも有料の内密出産や匿名出産は例がありません。残念なことですが、有料内密出産は日本が生み出した世界初のシステムです。

海外の各国は内密出産が必要な女性たちの実情を分析し、本人から費用徴収することが現実的ではないと判断したのだと思います。自己負担ではシステムの存在意義を損なうことから公費負担になったのではないかと私は推察します。

内密出産の法制化がなされていない日本では公費負担はかないませんので、日本で内密出産を実施するには病院の費用負担は避けられません。

理解と覚悟が必要

私には奇異に映る有料内密出産ですが、その背景には賛育会病院の不安があると思います。東京で内密出産を行えば事例数は熊本の数倍になります。その費用負担を支えきれないのではないかという不安です。

それを乗り越えるには、まず新生児の遺棄や殺人の現実を知り内密出産の存在意義を理解する必要があります。

私は3年前まで女性たちに交通費を振り込むことを躊躇していました。しかし裁判を通じて遺棄・殺人事件の悲惨な現実を知るようになってからは、「50万円で赤ちゃんの命や健康を買えるならば安いものだ」と思えるようになってきました。

優しさとか正義感だけでは日本の内密出産は運営できません。諸外国のような法整備がなされていないない日本の内密出産は世界で最も実施困難なものです。運営者には実情を理解し自ら負担する覚悟が求められます。

受け入れられるサービスを

社会福祉のサービスは利用者が受け入れられるものでなければ無意味です。利用者に合ったものを用意するのが提供者の責務です。利用者がその提案を拒絶したときに、「それではしようがないですね」と言ってしまうようでは支援ではありません。

もしも受け入れられないものばかりを提案する「支援者」だとすれば、それは支援者ではなく、自己満足や偽善とのそしりを受けても仕方がありません。残念なことですが孤立妊産婦支援の現場を見渡しますと、サービスの提供者が利用者にとって受け入れることのできない選択肢を提示する事態が散発します。

無料と宣言してほしい

賛育会病院のホームページには「キリスト教の『隣人愛』の精神に基づいた…」と理念がうたわれています。

私は洗礼を受けていませんし、聖書も1ページ読んだだけで脱落しました。しかしネットで調べて隣人が「隣の人」ではなく「困っている人」「助けを求めている人」「弱く貧しい人」を意味することもあると知りました。

赤ちゃんポストや内密出産の世界では孤立妊産婦こそが隣人だと思います。私は賛育会病院には堂々と「内密出産でお金はいただきません」と宣言していただきたいのです。それが孤立妊産婦には福音だと思います

父が残した桜

ごぶさたしています。
久しぶりの投稿をさせていただきます。

熊本では3月23日に桜の開花宣言が出されました。
それから2日しか経っていないのに病院前の桜たちは早くも満開を迎えそうです。

病室の窓を開けると、「ホーホケキョ!」とウグイスの鳴き声も聞こえてきて、病院の周りには春があふれています。
今年は熊本の開花宣言が全国に先駆けて出されたそうです。
これから桜前線は北上していくのでしょう。

そう言えば、「まわりの人に知られずに出産したい」と言って北海道から来た女性が、北海道の桜開花はゴールデンウィークの頃だと言っていました。その頃、熊本では夏日になることも珍しくありませんから、同じ日本の中でもずいぶん違います。

彼女は私の娘くらいの年齢でしたが、熊本と北海道の違いを感じる話を聞かせてくれて興味深かったです。

「熊本の冬は冬じゃない、北海道の春です!暖房は暑くなるので要らない」
「雪のないクリスマスは初めです。地元ではいつもホワイトクリスマスだったから‥」
「熊本は名前に熊が付くし、『くまモン』もいるし、野生のクマがいると思っていました」(九州には野生のクマはいません)

彼女にとって熊本はとても遠い場所だったと思います。
当たり前ですが東京よりも大阪よりも遠い所ですから。
それでもお腹の中の赤ちゃんを無事に出産するために熊本に来てくれました。

その勇気や行動力とは裏腹に、彼女は痛々しいくらいに人に気を配り、笑顔を見せる人でした。そんな顔を見るたびに私は、「親御さんが慈しみながら育ててくれれば、彼女の人生はもっと喜びのあるものになっていたはず」と思い残念でした。

さて病院前の桜たちですが、これは私の亡き父が50年前に幼木を植えたものです。ここは当時病院の駐車場だった場所ですが、今はそこにマリア館が建っています。

すでに樹齢が40年近くになっていた桜たちは移植に耐えられないとのことで、建築の際に半分以上を伐採せざるを得ませんでした。
残った桜もマリア館の日陰になってしまい、父は花を咲かすことができないのではないかと嘆きました。
樹木が好きだった父にとって病院の桜は自らの歴史のようなものでした。
息子の私としても胸の痛む思いでしたが、心を封印して建築に舵を切りました。

幸い残った桜たちは元気に花を咲かせてくれています。
父もホッとしているのではないかと、毎年桜の花を眺めるたびにあの頃を思い出します。

 

 

 

 

働き方改革

働き方改革の影響で勤務医の当直回数が制限されるようになりました。

しかし経営者はいくらでも働いて良いそうで、当直回数にも制限がありません。院長である私は、3月の31日中19日の当直を担いました。

出張で当直ができないと別日に当直をしなければいけませんから、6日連続当直もありです。20年くらい前は6日連続当直を当たり前のようにこなしていましたが、今年58歳になりますので、あの頃と一緒という訳にもいかず…。

幸い4月から馬場先生が着任してくださいましたので私の当直回数も減りましたが、それでも本日は3日連続当直の最終日で病院に籠もっています。

楽しみは食べることくらいで、病院食を3食いただいています。

本日の昼ご飯はインド風で、3種のカレーとナンでした。

コーヒー牛乳のように見える飲み物は「チャイ」と呼ばれるインドの飲み物だそうです。
かなり本格的です。
当院の料理人たちは頑張ってくれています。

七尾市炊き出し報告

令和6年1月12日に当院職員12名が石川県七尾市の恵寿総合病院様で炊き出しをさせていただきましたので写真を交えてご報告いたします。

喜んでいただける炊き出しはバーベーキューと思いましたので、熊本の業者様にお肉の供給をお願いしました。
熊本県が誇る赤牛と黒毛和牛です。
業者様の中には寄付としてくださる方もいらっしゃって、とても助けていただきました。

上の写真は解凍中のものですが、解凍が完了すると下の写真のように美味しそうな色合いのお肉に変身します(^_^)

ふだん当院に食材を提供してくださる業者様からは、「これを持って行って」とイチゴ、バナナ、みかんなどの果物を寄付していただきました。この他、食器、衛生用品などを寄付していただいた業者様もいらっしゃいます。今回の炊き出しは多くの業者様に支えられて実現しました。

入院中の患者様には当院で調理した牛丼の具とビーフシチューを真空パックし、冷凍保存してお届けしました。七尾市は断水中ですが電気は通っているとのことで、電子レンジで温めての調理で対応していただきました。

熊本県合志市の(株)共同様が物品の輸送を引き受けてくださいました。
保冷機能の付いた4トン車をご提供いただきましたので、十分すぎるくらいの積載量と鮮度維持を得ることができました。

トラックの運転手さんの中には、ちょっと怖そうな人もいますが、その先入観を覆すくらい好感度の高い運転手さんでした。(勝手な先入観で申し訳ありません…)
荷下ろしの後はバーベキューのお肉を焼く作業も手伝ってくださったそうです。

食材やバーベキュー道具などを満載したトラックは、開催2日前の1月10日に慈恵病院を出発しました。この後、大分県別府港~大阪南港をフェリーで移動し、ひと足早く石川県入りしました。

一方、慈恵病院の職員12名は1月11日朝に新幹線で新大阪駅に向かいました。

大阪から石川県までの移動は2台のレンタカーで…

高速道路で金沢市へ向かいました。

金沢市内のホテルで一泊し、翌日の炊き出しに備えます。地震の影響で観光客の宿泊予約キャンセルが多発したそうで、意外と宿泊予約は取りやすかったそうです。

ホテルに到着後は明日に向けての打ち合わせです。七尾市は訪れた経験のない場所ですし、道路事情や余震に不安がありましたので、みな緊張の面持ちです。

1月12日の朝4時に金沢市内のホテルを出発し、七尾市に向かいました。
距離にして約70kmですが、渋滞を避け他の支援車に迷惑をかけないように、この時間帯での移動を選んだのだそうです。

実際には大きな支障もなく、日の出前に炊き出し会場に到着することができました。

先着のトラックとも合流できました。

荷下ろしと会場設営だけで1時間以上かかったそうです。

約150kgのお肉を5台のバーベキューコンロで約5時間焼き続けました。

「お子さまにはソーセージも良いのでは?」という職員の意見は当りました。
大人にも好評だったそうです。

炊き出しには病院職員の方々だけではなく、近隣住民の方々にもお越しいただきました。

被災地に入ることがご迷惑にならないか心配していただけに、多くの方にお越しいただいたことは当院職員にとって励みになりました。

当院の栄養士が「できれば現地で豚汁を提供したい」と言って食材を持って行ったのですが、私自身はバーベキューの合間に調理する余裕があるのか疑問でした。

しかし、普段多人数への食事提供を仕事にしている人たちですから、薪コンロで豚汁を作ってしまいました。

寒い季節だっただけに豚汁が好評だったそうです。

炊き出し終了後に理事長先生、院長先生を始め恵寿総合病院の方々と記念写真を撮らせていただきました。

私は出発前の当院職員に伝えました。
「『勝手にバーベキューをさせていただいて、終わったら電話でご報告させていただきますので、放っといてください』と先方の方々に申し上げるように」と。
ところが実際には管理職の方々が付いてくださるなどの対応をしていただいたようです。お人柄なのかと思いつつも、お気遣いいただいたことが心苦しい反省点でした。
被災中でバタバタしていると心に余裕がなくなり、ご寄付への対応自体が負担になることがあります。お気持ちをありがたいと思いつつもです。熊本地震の時の経験がありましたので、この点を何とかしたかったのですが、なかなか難しいです。

恵寿病院様が被災後に運用を開始された学童保育のお子様方が当院向けに寄せ書きを作って下さいました。色々悩みましたがお肉を喜んでいただいたメッセージを拝見して「良かった」と素直に思えましたし、明るい色使いの貼り絵には心癒やされ元気が出ます。

ただ、「恵寿は絶対負けない!」という言葉には、心が折れそうになる気持ちを自ら奮い立たせるような思いを感じました。私には熊本地震の時の経験が重なって胸に迫るものがあります。

いただきました寄せ書きは私たちへのご褒美です。
病院の廊下に飾らせていただいています。
学童のお子さまや先生方、ありがとうございます。

能登半島地震の被害は熊本地震の時よりも甚大で、復旧が遅れています。
現地からの報道を見るたびに被災した方々のお辛さに胸が痛みます。

公的支援等が急ピッチで進められていますので、当面の生活環境の整備は遠からず実現すると思います。
その後の生活の立て直しや心の回復までには時間を要するかもしれません。
しかし、いつか「昔こんなことがあった」と振り返ることができる日が来ます。
光がさす時を信じて踏ん張っていただきたいと思うのです。

 

 

能登半島地震支援にあたりまして

慈恵病院は1月12日に石川県七尾市の恵寿総合病院様で炊き出しをさせていただきます。この活動につきましては、ご批判をいただくこともあろうかと思いますので、私から趣旨と経緯をご説明さし上げるべきと思い、ご報告いたします。

【熊本地震の時よりひどい】

報道でご存知の通り、能登半島地震の被害は甚大でした。
熊本地震の時より過酷なものです。熊本地震が発生したのは4月16日でした。肌寒いとはいえ春でした。一方、能登地震が発生したのは1月です。
熊本市で雪が積もるのは年間1~2回あるかどうかですが、能登では積雪のシーズンです。先日ビニールハウスに避難なさっている方々の様子をニュースで拝見しましたが、寒さに耐えていらっしゃる方々のお辛さやご不安は如何ばかりかと思います。また、地震による直接死者数、住宅やインフラのダメージも熊本地震の時より深刻です。

【支援が低調】

日々流される被災地報道に熊本の人々は胸を痛めているとは思いますが、具体的な支援の動きは低調です。その最も大きな原因は支援の要となる道路の損壊状態のひどさだと思います。加えて熊本地震の被災経験者には支援の波が押し寄せたことによる困惑経験があります。

例えば、

・お米をたくさんいただいたものの、需給のバランスが崩れて保管場所の確保に困る。
・乾パンやカップ麺は、最初はありがたかったものの、その後は食べようとする者がいない。
・水道が通った後にもお水の支援をいただく。
・賞味期限の切れた食品のご寄付をいただく。
・支援者の車で渋滞した。
・支援の問い合わせの対応にマンパワーを削がれてしまう。

ご支援いただくお気持ちをありがたいと思いつつ、被災者と支援のミスマッチが苦い記憶となって身動きが取れずにいるように思います。

現時点で行政は能登地方に向かうことを控えるように呼びかけています。確かに、震源地の珠洲市を始め輪島市、能登町へのアクセスは限られていて、一般市民の走行は控えるべきです。しかし他にも支援を求めている地域はあるはずです。

【当院の困窮体験】

私は何かお手伝いをできないものかと日々考えてきました。
その背景には熊本地震の時に助けていただいた感謝があります。

熊本地震発生から数日後の当院の状況は厳しいものでした。
患者様だけでなく、余震を恐れて病院内に身を寄せる近隣住民の方々、職員の総勢約200名分の三食を賄う必要がありました。しかし食料の備蓄は早くも本震発生後2日で尽きる見通しとなりました。
多くの方々を病院内に抱えながら助けがなく、公的支援についても民間の中小病院は優先順位が低く助けにきてくれません。行政の方々も助けたくてもマンパワーが足りず、当院までには手が回らなかったのです。

絶望的な状況の中で救っていただいたのは民間の有志の方々でした。水が出ない中で大量の水を届けていただき、食べきれないくらいの食料をいただきました。確かに需給のミスマッチはありましたが、少なくとも何かしらをいただかなければ病院内の200人は立ち行きませんでした。

【発災12日目に熊本の地からできること】

私は熊本地震の時に受けたご恩返しをいずれしなければならないと考えてきました。能登半島地震もその一つです。
被災経験に基づき、ご迷惑をかけずに喜んでいただけるお手伝いは何かと考え、今回の炊き出しに決めました。炊き出しはバーベキューです。日々死者数が積み上げられていく状況の中でバーベキューを不謹慎と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、私の結論はこれでした。

おにぎり、パン、カップ麺は被災直後には貴重です。
しかし(ベジタリアンでない限り)多くの人は日が経つにつれて肉や魚などの動物性タンパクが欲しくなります。
これは決して贅沢な欲求ではなく、当たり前の願望です。
しかし被災者は容易にそれを求めることができません。
「何を支援して欲しいですか?」と聞かれたときに、「肉を下さい」とは言いづらいのです。「助けてもらっているくせに、お前は何様?」と言われそうな気がして遠慮します。誰かがお節介をして「お肉を、お魚を食べてください」と言わなければいけません。

熊本地震の発生後、お肉に対する願望は病院内だけでなく地域に蔓延していました。本震から12日後の4月28日に当院は第1回の子ども食堂をバーベキューの形で開催しましたが、あの時大人も子どもも再会とお互いの無事を喜び、そして「久しぶりにお肉を食べられた」と喜びました。お肉にはお肉の力があると思います。能登半島地震発生から11日が経過し、当該地域では同様にお肉に対する思いが募っていることと思います。

【支援の経緯と計画】

・お手伝いできる被災地域は現状で七尾市です。交通の制限がない被災地域だからです。

・当院が産婦人科主体の病院ですので、産婦人科の医療機関を調査しましたところ、当院の看護部長が金沢市内の看護部長様を通じて恵寿会病院様にコンタクトを取らせていただくことができました。

・お肉を提供するに当りましては、患者様には当院で調理し真空パックの上、冷凍した牛丼の具(250~300人分)やビーフシチュー(250~300人分)を、職員様にはバーベキュー(500人分)、フライドチキン500個をお届けすることにしました。先様に調理の手間をかけなくて済む方法を模索した結果です。

・当院の経験を振り返りますと、恵寿会病院の職員の方々は心身共に疲弊されていると思います。医療者は笑顔をもって患者者様に接しなければいけません。お肉を口にしていただく事で次の1週間の元気の源にしていただければ、次の1週間で状況は好転するはずです。

・「珠洲や輪島で食べるものに困っている人がいるのにバーベキューとは何事か!」と憤慨なさる方もいらっしゃるかもしれませんが、七尾市は被災地であるだけでなく重要な後方支援地です。七尾市が元気でなければ奥能登の助けになりません。私たちは後方支援の後方支援としてお役に立ちたいと考えます。

・物品は熊本県合志市の(株)共同様に4tトラックで運んでいただきます。

・当院職員10名は新幹線で大阪まで向かい、その後はレンタカー2台で移動します。金沢市内に宿を取り、道路が比較的混雑しないと予想される午前4時に金沢を出発の上、お肉をご提供後には速やかに金沢に戻ります。七尾市滞在中は持参した簡易トイレを利用します。発生したゴミは熊本に持ち帰ります。

【関係の皆様に御礼】

今回のお手伝いは民間の中小病院単独では叶わない案件でした。
まずは(株)共同様にトラックのご提供をお願いし、快くお引き受けいただいたところから現実味を帯びてきました。同社はお肉の加工も手がけていらっしゃいますので、お肉の供給につきましても多大なご貢献をいただきました。

また多くの企業様が食品の供給に応じてくださいました。
大量かつ急な要請でしたのでご迷惑をおかけしたと思います。
中にはお金を請求なさらずに寄付としてご提供いただいた事例もありました。感謝と敬意をもってお名前をご紹介させていただきます。(五十音順)

上野デリック 様
臥璽廊(がじろう) 様とご友人様10名
ケンタッキー・フライド・チキン 様
三協グループ 様
白木商店 様
高手牧場 様
肉の大栄 様
藤本物産 様
ライズデザイン 様
らくのうマザーズ 様

令和6年1月11日 慈恵病院 蓮田健

3回目の予防接種

(恥ずかしながら)痛がりで注射嫌いの医者が12月29日に3回目の新型コロナ予防接種を受けました。病棟の処置室で注射してくれたのは1年目の看護師です。注射自体は滞りなく終わったのですが、この看護師さん、「すみません、ごめんなさい」を繰り返しながらの注射で、終わった後も「担当させていただいてありがとうございました」との弁。この人柄の良さは本人の持って生まれたものと親御さんの教育ではないかと考えさせられ、教えられた思いでした。

私の妻は3回目の予防接種の後、高熱と頭痛で2日間苦しみました。
「もう、こりごり。4回目はしたくない」
そう聞いていたので我が身を少し心配しましたが、私の場合、注射した部分が少し痛んだくらいで済みました。副反応に乏しいのは歳のせいかもしれず、ホッとしたような寂しいような…

 

「ゆりかご」動画をご覧下さい

「こうのとりのゆりかご」の動画ができました。

【妊娠、出産】赤ちゃんを自分で育てられない方へ。匿名(とくめい)で赤ちゃんを出産できたり、預けたりできます。【こうのとりのゆりかご動画/慈恵病院】 – YouTube

「ゆりかご」は自分では育てられない赤ちゃんを匿名で病院に預け入れるシステムです。ここには過去14年間で159名の赤ちゃんが預け入れられました。
最初に預けられたお子さんは18歳になります。

この動画は「ゆりかご」の現場で生じた出来事をつないで作られました。
私たちの立場からすれば、「あるある」の世界です。
動画中に読み上げられる手紙も、実際に病院を訪れた女性が書いたものを使っていただきました。

赤ちゃんの預け入れを「安易な育児放棄」と言う人がいますが、彼女たちの多くは独りで命がけのお産をした上で「ゆりかご」にたどり着きます。
安易と言うよりも必死の方が当たっています。
彼女たちは誰にも頼ることができず、途方に暮れて慈恵病院に来ます。

妊娠が分かったとたん、彼が電話にもメールにも応じてくれないケースは多々あります。
家族から仲間外れにされている女性もいました。
家族内のイジメです。
外食の時には独り留守番をさせられ、弟妹には許されるのに「アンタは冷蔵庫の中の物を食べてはダメ」と言われ続けて育ったそうです。
母親の機嫌が悪くなると包丁が飛んできたり、髪の毛をつかまれて引っ張り回されるとか…
頼るべき家族がいないのです。

この動画を通じて「ゆりかご」の実情の一端を知っていただきたいですし、妊娠して困った女性たちが相談してくれるきっかけになればと願っています。

最後に。
この動画は俳優さん、監督さん、プロデューサーさんなど多くの方々のお力添えでできました。
私たちの思いが時には素人のわがままに映ったかも知れませんが、嫌な顔もなさらず丁寧に対応していただきました。
深く感謝申し上げます。