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本日の病院ごはん 7月2日

マリア館の夕食です。

お寿司は、厨房の寿司職人が握ってくれます。
彼は数々のお店で修行した上で、寿司屋さんを経営したこともあるプロです。
若い頃とは仕事のペースが違うとは言え、ご覧のように寿司店と変わりないお寿司を提供してくれます。

こちらは鶏身とシシトウの天ぷらです。
抹茶塩の他、計三種類のお塩でいただきました。

この日は、厨房スタッフが最近購入した黒の角皿を試してみたそうで、ステーキバージョンも出してくれました。黒の器に盛りつけられたお肉には、落ち着いた高級感が漂います。

患者さんに喜んでもらうために、洋食のシェフ、和食の調理人、寿司職人それぞれが心を砕いて料理を作ってくれています。

 

 

 

イノシシの炭火焼 美味しかった!

家に帰り冷蔵庫をのぞくと、ビニール袋に包まれた大きな肉の塊を見つけました。
イノシシのブロック肉です。
父(慈恵病院院長)が分けてくれたそうです。

早速、これを切り分けて味噌、砂糖、ハチミツ、みりんに漬け込みました。
蓮田家は薄味が好きですので、極力塩味が強すぎないように‥。

当直やお産で家に帰らないと、肉は冷蔵庫の中に寝かされたままになります。
1週間後、慌てて取り出し、自宅の勝手口で炭焼きにしました。

いい色に焼けているでしょう?
臭みもほとんどなくて美味しかったです。
程よい歯ごたえには、野生の肉のエネルギーを感じます。
普段食べる牛、豚、鶏と比べると肉の硬さがありますが、そこに力強さを感じて、(表現が拙いですが)まさに「命をいただいている」気持ちになります。

イノシシにも父にも感謝です。

 

本日の病院ごはん 6月28日

当直2日目の夕食です。
品数も多くてお腹いっぱいになります。


「写真に撮るのなら」と、厨房スタッフが昼ご飯の分も撮影に提供してくれました。
こちらはマリア館に入院中の患者さん向け昼ご飯です。


ドライカレーの上にカレールーをかけていただくダブルカレーです。
真ん中の丸いものはチーズがかかったトマトです。


今回も美味しくいただきました。
おごちそうさまでした。

 

 

本日の病院ごはん 6月27日

今日から2日連続の当直に入ります。
南アフリカに1週間渡航していた分、今週は当直が多くなりました。

さて、本日の当直食にはマリア館の夕食をリクエストしました。
当院のシェフ達の力作をご紹介したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真ん中の魚料理は、「鯛のレモンバターソース」、右上は「ローストビーフ~柚子胡椒ポン酢のジュレ」です。「ジュレ」はゼリーのフランス語ですが、ポン酢をベースにしたゼリー状のソースはさっぱりしていて、暑い季節にはぴったりです。
美味しくいただきました。

ちなみに、4月に撮った病院食の写真があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タケノコが春らしいです。
ボリュームたっぷりな夕食ですが、母乳をあげていない私が毎日これを頂くと、体重が増える一方です。
ということで、この食事は当直の時に、たまにです。

 

いきなりの欠航

先週1週間は南アフリカのBaby Box視察に行ってきました。

渡航前にネット、お知り合いの方、現地通訳の方から南アフリカの危険情報を伺っていましたので、緊張しましたが、結局、強盗にもスリにも遭わず無事に帰って来ることができました。

ただ、問題だったのは熊本空港から関西国際空港へ移動する航空便の欠航です。
予約していたジェットスターが搭乗の直前になって欠航になってしまい、結果として私と同行した娘計2名分で48万円の損害を受けてしまいました。
関空へのANA便チケット代、国際線のチケットキャンセルと買い直し、ホテルのキャンセル、通訳キャンセルなどで48万円です(T_T)
ジェットスターに問い合わせしたところ、自社のチケット代払い戻しだけしかしてくれないとのことでした。


「LCCはチェックインや荷物の預け入れについて時間制限が厳しい」と聞いていましたから、2時間前にジェットスターのカウンターに到着して待っていたのに、出発が1時間半遅れると変更された上、さらにその変更時刻の20分前になって突然の欠航宣言です。
搭乗ゲートの目の前にはジェットスターの機体が横付けされているのに。
乗務員の調整がつかないのが欠航の理由だそうですが、地元紙には機長の体調不良と書かれていたそうです。

欠航を宣告され呆然とする私に娘が、「他の航空会社カウンターに行こう!」と促して、ANAのカウンターに駆け込んだのですが、伊丹行きは満席でした。
やむなく自宅に戻り、翌朝一番のANA便で伊丹空港に向かいました。

ANA便を見たときには何だかホッとしました。

ジェットスターの欠航は決して珍しくないのですが、まさか我が身に降りかかるとは思いませんでした。特に国際線の乗り継ぎ便があるときには損害が大きくなります。

LCCを選んだのは安いからではなく、関空への直行便だったからです。
ただ、今後はLCCを避けて、かつ国際便を使うときには半日くらい余裕を持って向かいたいと思います。
私のように海外旅行初心者の皆様、くれぐれもお気をつけ下さい。

 

 

久しぶりの投稿

最終投稿から何と1年以上が経ってしまいました。

「こうのとりのゆりかご」、診療、子ども食堂など思う事は沢山あるのですが、書き込みをする余裕がありません。

今回、南アフリカのBaby Boxを視察する機会を得ましたので、これを機に投稿を頑張ってみようと意気込んでいます。

読んで下さる皆様よろしくお願いします。

内密出産導入の検討

前のブログでは内密出産の問題点を中心に書きました。
ただ、文章を作る中で、「内密出産をできないことの理由ばかり挙げていても前に進めないのでは?」という思いもあって悩みました。
病院にとって内密出産はリスクを伴います。
すべきか否か‥。

先週の病院幹部会議で私の思いを話しましたところ、みな快く賛成してくれました。
意外とあっさりでした。

内密出産が実現すれば、妊娠・出産の秘密を明かしたくない女性との相談が比較的スムーズに行えます。これまで、病院を受診することすら、かたくなに拒否していた人の中でも、受け入れてくれるきっかけになるかもしれません。病院に来て何回か顔を合わせるうちに、身元を明かして出産をする事に同意してくれる事も期待できます。これまでの電話相談の経験から、その予感があります。

実現までには色々と困難があるとは思いますが、行政の方々のご協力もお願いしながら努力を重ねていきたいと思います。

「こうのとりのゆりかご」開設10年

「こうのとりのゆりかご」は5月10日で開設10年を迎えます。

10年前の事はよく覚えています。
開設からわずか数時間後に預け入れがありました。
それも3歳の男の子でした。
赤ちゃんの預け入れを予想していた私には衝撃でした。
預け入れは夜間にひっそりと行われるものと思っていたのですが、最初のケースは白昼の預け入れでした。
その時私は手術中だったのですが、報告を受けてショックを受けたのを覚えています。

あの男の子は元気に育っているようです。
残念ながら、私たち慈恵病院の人間は、預け入れられた赤ちゃんの「その後」を知る事ができません。
個人情報保護のため、私たちでも教えてもらえないのです。
ただ、里親の元で元気にしている事をテレビの報道で知りました。
蓮田太二理事長にも感謝の手紙を送ってくれたそうです。

その後、10年間で120人以上の赤ちゃんが預け入れられました。
白状してしまいますが、私個人は開設当初、「こうのとりのゆりかご」に懐疑的でした。
しかし、10年経験してみて、「こうのとりのゆりかご」の必要性を感じます。

必要とする人は、ごくわずかだと思います。
年間100万人の出生数がある日本で、100~200人ではないでしょうか。
(個人的な推測の域を出ませんが)

とすると、5000人~1万人に1人です。
極めて稀なケースになるわけですが、世の中には、どうしようもなくなった女性がいます。
「家族にも役所にも相談できない」「絶対秘密にしなければいけない」という事情を抱えた女性です。
そんな人が最終手段として頼る所が必要です。

過去10年間の預け入れを見て、「自分が母親だったら、別の方法を取った」と思うことは少なくありませんでした。
しかし、それは私の立場だからです。
実母さんたちの生い立ち、経済状態、健康状態、知識力などを知ると、彼女たちを責める気持ちになれません。
私が同じ境遇だったらどうなっていたかを考えると、自信がありません。

賛否両論があるシステムである事は承知していますが、社会に必要なシステムだと考えます。
10年が経って、それを感じます。

 

ブログ滞っています

ブログを立ち上げたものの、なかなか更新できません。
ご報告すべき事はたくさんあるのですが‥。

産婦人科診療で慌ただしい日々です。
当直だけでも1ヶ月に15回を担当していますので、時間に余裕がありません。
休日も月に1~2日ですから、はやりの「ブラック」なのかもしれませんが、経営を担う立場には適用外です。

ただ、言い訳していても進歩はありませんので、書き込みに努めたいと思います。
滞る事があるかもしれませんが、お許し下さい。

熊本地震発生から1年を迎えて

4月14日、熊本地震発生から1年になります。

地震災害とは無縁と思っておりました私どもにとって、1年前の出来事はまさに青天の霹靂でした。特に4月16日の本震では、水道・ガスの供給が止まり、必要な医療活動にも支障をきたしました。飲み水や食料の備蓄も残り2日分という逼迫した状況でした。

一方、当時病院内には200名以上の人々がいました。入院中の方々、病院職員の他、近隣地域から避難してこられた住民の皆様です。病院はこれだけの方々を支える力を失いつつありました。あの時の不安、あの時の無力感を忘れません。

そのような中、多くのご支援、ご寄付をいただきました。ご自宅の状態が厳しいにも関わらず当院に駆けつけてくださった方、遠方から沢山の物資を送っていただいた方、そして励ましのお手紙を送っていただいた小学生など、感謝しきれないくらいのご支援をいただきました。あの切羽詰った状況の中、いただいたご厚意を忘れる事はできません。

地震の後、病院は徐々に復旧し、現在は地震前の活動状態に戻っております。あの時を乗り越えられて今があるのは、助けていただいた皆様のおかげです。当院を必要として下さる皆様のお役に立つことで、ご厚意に報いていく所存です。

また、あってはならない事ではありますが、将来発生するかもしれない被災者のお役に立てるように病院として備えを進めてまいります。これがご恩返しの一つになれる事を願っています。

地震を始めとする災害を無くす事はできません。今回の経験で、平穏無事な日々の有難さを痛感いたしました。一人でも多くの方が一日でも多く、幸せな日々をお過ごしになる事をお祈り申し上げます。