月別アーカイブ: 2024年1月

七尾市炊き出し報告

令和6年1月12日に当院職員12名が石川県七尾市の恵寿総合病院様で炊き出しをさせていただきましたので写真を交えてご報告いたします。

喜んでいただける炊き出しはバーベーキューと思いましたので、熊本の業者様にお肉の供給をお願いしました。
熊本県が誇る赤牛と黒毛和牛です。
業者様の中には寄付としてくださる方もいらっしゃって、とても助けていただきました。

上の写真は解凍中のものですが、解凍が完了すると下の写真のように美味しそうな色合いのお肉に変身します(^_^)

ふだん当院に食材を提供してくださる業者様からは、「これを持って行って」とイチゴ、バナナ、みかんなどの果物を寄付していただきました。この他、食器、衛生用品などを寄付していただいた業者様もいらっしゃいます。今回の炊き出しは多くの業者様に支えられて実現しました。

入院中の患者様には当院で調理した牛丼の具とビーフシチューを真空パックし、冷凍保存してお届けしました。七尾市は断水中ですが電気は通っているとのことで、電子レンジで温めての調理で対応していただきました。

熊本県合志市の(株)共同様が物品の輸送を引き受けてくださいました。
保冷機能の付いた4トン車をご提供いただきましたので、十分すぎるくらいの積載量と鮮度維持を得ることができました。

トラックの運転手さんの中には、ちょっと怖そうな人もいますが、その先入観を覆すくらい好感度の高い運転手さんでした。(勝手な先入観で申し訳ありません…)
荷下ろしの後はバーベキューのお肉を焼く作業も手伝ってくださったそうです。

食材やバーベキュー道具などを満載したトラックは、開催2日前の1月10日に慈恵病院を出発しました。この後、大分県別府港~大阪南港をフェリーで移動し、ひと足早く石川県入りしました。

一方、慈恵病院の職員12名は1月11日朝に新幹線で新大阪駅に向かいました。

大阪から石川県までの移動は2台のレンタカーで…

高速道路で金沢市へ向かいました。

金沢市内のホテルで一泊し、翌日の炊き出しに備えます。地震の影響で観光客の宿泊予約キャンセルが多発したそうで、意外と宿泊予約は取りやすかったそうです。

ホテルに到着後は明日に向けての打ち合わせです。七尾市は訪れた経験のない場所ですし、道路事情や余震に不安がありましたので、みな緊張の面持ちです。

1月12日の朝4時に金沢市内のホテルを出発し、七尾市に向かいました。
距離にして約70kmですが、渋滞を避け他の支援車に迷惑をかけないように、この時間帯での移動を選んだのだそうです。

実際には大きな支障もなく、日の出前に炊き出し会場に到着することができました。

先着のトラックとも合流できました。

荷下ろしと会場設営だけで1時間以上かかったそうです。

約150kgのお肉を5台のバーベキューコンロで約5時間焼き続けました。

「お子さまにはソーセージも良いのでは?」という職員の意見は当りました。
大人にも好評だったそうです。

炊き出しには病院職員の方々だけではなく、近隣住民の方々にもお越しいただきました。

被災地に入ることがご迷惑にならないか心配していただけに、多くの方にお越しいただいたことは当院職員にとって励みになりました。

当院の栄養士が「できれば現地で豚汁を提供したい」と言って食材を持って行ったのですが、私自身はバーベキューの合間に調理する余裕があるのか疑問でした。

しかし、普段多人数への食事提供を仕事にしている人たちですから、薪コンロで豚汁を作ってしまいました。

寒い季節だっただけに豚汁が好評だったそうです。

炊き出し終了後に理事長先生、院長先生を始め恵寿総合病院の方々と記念写真を撮らせていただきました。

私は出発前の当院職員に伝えました。
「『勝手にバーベキューをさせていただいて、終わったら電話でご報告させていただきますので、放っといてください』と先方の方々に申し上げるように」と。
ところが実際には管理職の方々が付いてくださるなどの対応をしていただいたようです。お人柄なのかと思いつつも、お気遣いいただいたことが心苦しい反省点でした。
被災中でバタバタしていると心に余裕がなくなり、ご寄付への対応自体が負担になることがあります。お気持ちをありがたいと思いつつもです。熊本地震の時の経験がありましたので、この点を何とかしたかったのですが、なかなか難しいです。

恵寿病院様が被災後に運用を開始された学童保育のお子様方が当院向けに寄せ書きを作って下さいました。色々悩みましたがお肉を喜んでいただいたメッセージを拝見して「良かった」と素直に思えましたし、明るい色使いの貼り絵には心癒やされ元気が出ます。

ただ、「恵寿は絶対負けない!」という言葉には、心が折れそうになる気持ちを自ら奮い立たせるような思いを感じました。私には熊本地震の時の経験が重なって胸に迫るものがあります。

いただきました寄せ書きは私たちへのご褒美です。
病院の廊下に飾らせていただいています。
学童のお子さまや先生方、ありがとうございます。

能登半島地震の被害は熊本地震の時よりも甚大で、復旧が遅れています。
現地からの報道を見るたびに被災した方々のお辛さに胸が痛みます。

公的支援等が急ピッチで進められていますので、当面の生活環境の整備は遠からず実現すると思います。
その後の生活の立て直しや心の回復までには時間を要するかもしれません。
しかし、いつか「昔こんなことがあった」と振り返ることができる日が来ます。
光がさす時を信じて踏ん張っていただきたいと思うのです。

 

 

能登半島地震支援にあたりまして

慈恵病院は1月12日に石川県七尾市の恵寿総合病院様で炊き出しをさせていただきます。この活動につきましては、ご批判をいただくこともあろうかと思いますので、私から趣旨と経緯をご説明さし上げるべきと思い、ご報告いたします。

【熊本地震の時よりひどい】

報道でご存知の通り、能登半島地震の被害は甚大でした。
熊本地震の時より過酷なものです。熊本地震が発生したのは4月16日でした。肌寒いとはいえ春でした。一方、能登地震が発生したのは1月です。
熊本市で雪が積もるのは年間1~2回あるかどうかですが、能登では積雪のシーズンです。先日ビニールハウスに避難なさっている方々の様子をニュースで拝見しましたが、寒さに耐えていらっしゃる方々のお辛さやご不安は如何ばかりかと思います。また、地震による直接死者数、住宅やインフラのダメージも熊本地震の時より深刻です。

【支援が低調】

日々流される被災地報道に熊本の人々は胸を痛めているとは思いますが、具体的な支援の動きは低調です。その最も大きな原因は支援の要となる道路の損壊状態のひどさだと思います。加えて熊本地震の被災経験者には支援の波が押し寄せたことによる困惑経験があります。

例えば、

・お米をたくさんいただいたものの、需給のバランスが崩れて保管場所の確保に困る。
・乾パンやカップ麺は、最初はありがたかったものの、その後は食べようとする者がいない。
・水道が通った後にもお水の支援をいただく。
・賞味期限の切れた食品のご寄付をいただく。
・支援者の車で渋滞した。
・支援の問い合わせの対応にマンパワーを削がれてしまう。

ご支援いただくお気持ちをありがたいと思いつつ、被災者と支援のミスマッチが苦い記憶となって身動きが取れずにいるように思います。

現時点で行政は能登地方に向かうことを控えるように呼びかけています。確かに、震源地の珠洲市を始め輪島市、能登町へのアクセスは限られていて、一般市民の走行は控えるべきです。しかし他にも支援を求めている地域はあるはずです。

【当院の困窮体験】

私は何かお手伝いをできないものかと日々考えてきました。
その背景には熊本地震の時に助けていただいた感謝があります。

熊本地震発生から数日後の当院の状況は厳しいものでした。
患者様だけでなく、余震を恐れて病院内に身を寄せる近隣住民の方々、職員の総勢約200名分の三食を賄う必要がありました。しかし食料の備蓄は早くも本震発生後2日で尽きる見通しとなりました。
多くの方々を病院内に抱えながら助けがなく、公的支援についても民間の中小病院は優先順位が低く助けにきてくれません。行政の方々も助けたくてもマンパワーが足りず、当院までには手が回らなかったのです。

絶望的な状況の中で救っていただいたのは民間の有志の方々でした。水が出ない中で大量の水を届けていただき、食べきれないくらいの食料をいただきました。確かに需給のミスマッチはありましたが、少なくとも何かしらをいただかなければ病院内の200人は立ち行きませんでした。

【発災12日目に熊本の地からできること】

私は熊本地震の時に受けたご恩返しをいずれしなければならないと考えてきました。能登半島地震もその一つです。
被災経験に基づき、ご迷惑をかけずに喜んでいただけるお手伝いは何かと考え、今回の炊き出しに決めました。炊き出しはバーベキューです。日々死者数が積み上げられていく状況の中でバーベキューを不謹慎と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、私の結論はこれでした。

おにぎり、パン、カップ麺は被災直後には貴重です。
しかし(ベジタリアンでない限り)多くの人は日が経つにつれて肉や魚などの動物性タンパクが欲しくなります。
これは決して贅沢な欲求ではなく、当たり前の願望です。
しかし被災者は容易にそれを求めることができません。
「何を支援して欲しいですか?」と聞かれたときに、「肉を下さい」とは言いづらいのです。「助けてもらっているくせに、お前は何様?」と言われそうな気がして遠慮します。誰かがお節介をして「お肉を、お魚を食べてください」と言わなければいけません。

熊本地震の発生後、お肉に対する願望は病院内だけでなく地域に蔓延していました。本震から12日後の4月28日に当院は第1回の子ども食堂をバーベキューの形で開催しましたが、あの時大人も子どもも再会とお互いの無事を喜び、そして「久しぶりにお肉を食べられた」と喜びました。お肉にはお肉の力があると思います。能登半島地震発生から11日が経過し、当該地域では同様にお肉に対する思いが募っていることと思います。

【支援の経緯と計画】

・お手伝いできる被災地域は現状で七尾市です。交通の制限がない被災地域だからです。

・当院が産婦人科主体の病院ですので、産婦人科の医療機関を調査しましたところ、当院の看護部長が金沢市内の看護部長様を通じて恵寿会病院様にコンタクトを取らせていただくことができました。

・お肉を提供するに当りましては、患者様には当院で調理し真空パックの上、冷凍した牛丼の具(250~300人分)やビーフシチュー(250~300人分)を、職員様にはバーベキュー(500人分)、フライドチキン500個をお届けすることにしました。先様に調理の手間をかけなくて済む方法を模索した結果です。

・当院の経験を振り返りますと、恵寿会病院の職員の方々は心身共に疲弊されていると思います。医療者は笑顔をもって患者者様に接しなければいけません。お肉を口にしていただく事で次の1週間の元気の源にしていただければ、次の1週間で状況は好転するはずです。

・「珠洲や輪島で食べるものに困っている人がいるのにバーベキューとは何事か!」と憤慨なさる方もいらっしゃるかもしれませんが、七尾市は被災地であるだけでなく重要な後方支援地です。七尾市が元気でなければ奥能登の助けになりません。私たちは後方支援の後方支援としてお役に立ちたいと考えます。

・物品は熊本県合志市の(株)共同様に4tトラックで運んでいただきます。

・当院職員10名は新幹線で大阪まで向かい、その後はレンタカー2台で移動します。金沢市内に宿を取り、道路が比較的混雑しないと予想される午前4時に金沢を出発の上、お肉をご提供後には速やかに金沢に戻ります。七尾市滞在中は持参した簡易トイレを利用します。発生したゴミは熊本に持ち帰ります。

【関係の皆様に御礼】

今回のお手伝いは民間の中小病院単独では叶わない案件でした。
まずは(株)共同様にトラックのご提供をお願いし、快くお引き受けいただいたところから現実味を帯びてきました。同社はお肉の加工も手がけていらっしゃいますので、お肉の供給につきましても多大なご貢献をいただきました。

また多くの企業様が食品の供給に応じてくださいました。
大量かつ急な要請でしたのでご迷惑をおかけしたと思います。
中にはお金を請求なさらずに寄付としてご提供いただいた事例もありました。感謝と敬意をもってお名前をご紹介させていただきます。(五十音順)

上野デリック 様
臥璽廊(がじろう) 様とご友人様10名
ケンタッキー・フライド・チキン 様
三協グループ 様
白木商店 様
高手牧場 様
肉の大栄 様
藤本物産 様
ライズデザイン 様
らくのうマザーズ 様

令和6年1月11日 慈恵病院 蓮田健