救いたかった母子

久しぶりの更新ですが、先日出た判決から感じたことを綴りたいと思います。

平成27年、生後10ヶ月の女児に暴行を加え死亡させたとして、高知地裁が9月、母親に懲役4年(求刑懲役5年)の判決下しました。母親には育児不安があり、「赤ちゃんポストに預けたい、できるなら殺してしまいたい。殺してどこからか飛び降りたい」と周囲に漏らしていたといいます。

このような報道を見ると、私は「こうのとりのゆりかご」の課題を改めて考えさせられます。生命に関わる危機に陥った母子の緊急避難施設として役立っていません。

今回のような事件になる前に、もし赤ちゃんを「ゆりかご」に預けてもらえれば、母子ともにこのような不幸に遭わずに済んだかもしれません。

赤ちゃんを殺すくらいなら、捨てるくらいなら、「ゆりかご」に預けて欲しい。そういう願いで運営していますが、現実には全国で赤ちゃんの遺棄や殺人が発生しています。

なぜでしょうか?

一つには、「ゆりかご」の存在自体が知られなくなってしまったことにあると考えられます。中学校の性教育に出向いた際、中学生に聞いてみたところ、9割の生徒が「ゆりかご」を知りませんでした。

10年前、開設当初は賛否両論でメディアにも取り上げられ、多くの方に知っていただけましたが、最近ではご存じない方も少なくありません。

次に、問題になるのが距離感です。首都圏で生まれた赤ちゃんが、新幹線で連れてこられたケースはありましたが、東北や北海道在住の方にとって、交通費や所要時間の面でハードルが高いと考えられます。

その上、せっかく遠路はるばる赤ちゃんを連れてきても、それを受け入れ包み込む社会の雰囲気が「ゆりかご」のある熊本でさえ形成されていません。

先日、「こうのとりのゆりかご専門部会」は検証報告書を出しました。

「自宅出産は危険ではないか」「生まれて間もない赤ちゃんをどうして遠くから連れてきたのか?」これは行政や専門家からよく出る意見です。

本人としては、どうしようもなくなって、追い詰められて熊本まで来ているのに、支えるべき人は批判するのです。

我が国では1年間に98万人以上の赤ちゃんが誕生し、年間18万件の人工妊娠中絶が行われています。そのような規模の社会の中には、いわゆる社会の常識から外れた経過をたどる女性も出てきます。そのような女性の行動が理想的なものでなかったとしても、最悪の事態を避けるために容認すべきではないでしょうか。

仮に、北海道から赤ちゃんを連れてきた女性がいたとしても、「お母さんも辛かったね。よく頑張って連れてきてくれたね」と迎え入れる雰囲気が熊本で醸成され、全国に拡散されればと願っています。それが、不幸な事例を少しでも減らすための一歩ではないでしょうか。

「こうのとりのゆりかご」開設10年

「こうのとりのゆりかご」は5月10日で開設10年を迎えます。

10年前の事はよく覚えています。
開設からわずか数時間後に預け入れがありました。
それも3歳の男の子でした。
赤ちゃんの預け入れを予想していた私には衝撃でした。
預け入れは夜間にひっそりと行われるものと思っていたのですが、最初のケースは白昼の預け入れでした。
その時私は手術中だったのですが、報告を受けてショックを受けたのを覚えています。

あの男の子は元気に育っているようです。
残念ながら、私たち慈恵病院の人間は、預け入れられた赤ちゃんの「その後」を知る事ができません。
個人情報保護のため、私たちでも教えてもらえないのです。
ただ、里親の元で元気にしている事をテレビの報道で知りました。
蓮田太二理事長にも感謝の手紙を送ってくれたそうです。

その後、10年間で120人以上の赤ちゃんが預け入れられました。
白状してしまいますが、私個人は開設当初、「こうのとりのゆりかご」に懐疑的でした。
しかし、10年経験してみて、「こうのとりのゆりかご」の必要性を感じます。

必要とする人は、ごくわずかだと思います。
年間100万人の出生数がある日本で、100~200人ではないでしょうか。
(個人的な推測の域を出ませんが)

とすると、5000人~1万人に1人です。
極めて稀なケースになるわけですが、世の中には、どうしようもなくなった女性がいます。
「家族にも役所にも相談できない」「絶対秘密にしなければいけない」という事情を抱えた女性です。
そんな人が最終手段として頼る所が必要です。

過去10年間の預け入れを見て、「自分が母親だったら、別の方法を取った」と思うことは少なくありませんでした。
しかし、それは私の立場だからです。
実母さんたちの生い立ち、経済状態、健康状態、知識力などを知ると、彼女たちを責める気持ちになれません。
私が同じ境遇だったらどうなっていたかを考えると、自信がありません。

賛否両論があるシステムである事は承知していますが、社会に必要なシステムだと考えます。
10年が経って、それを感じます。

 

ブログ滞っています

ブログを立ち上げたものの、なかなか更新できません。
ご報告すべき事はたくさんあるのですが‥。

産婦人科診療で慌ただしい日々です。
当直だけでも1ヶ月に15回を担当していますので、時間に余裕がありません。
休日も月に1~2日ですから、はやりの「ブラック」なのかもしれませんが、経営を担う立場には適用外です。

ただ、言い訳していても進歩はありませんので、書き込みに努めたいと思います。
滞る事があるかもしれませんが、お許し下さい。

熊本地震発生から1年を迎えて

4月14日、熊本地震発生から1年になります。

地震災害とは無縁と思っておりました私どもにとって、1年前の出来事はまさに青天の霹靂でした。特に4月16日の本震では、水道・ガスの供給が止まり、必要な医療活動にも支障をきたしました。飲み水や食料の備蓄も残り2日分という逼迫した状況でした。

一方、当時病院内には200名以上の人々がいました。入院中の方々、病院職員の他、近隣地域から避難してこられた住民の皆様です。病院はこれだけの方々を支える力を失いつつありました。あの時の不安、あの時の無力感を忘れません。

そのような中、多くのご支援、ご寄付をいただきました。ご自宅の状態が厳しいにも関わらず当院に駆けつけてくださった方、遠方から沢山の物資を送っていただいた方、そして励ましのお手紙を送っていただいた小学生など、感謝しきれないくらいのご支援をいただきました。あの切羽詰った状況の中、いただいたご厚意を忘れる事はできません。

地震の後、病院は徐々に復旧し、現在は地震前の活動状態に戻っております。あの時を乗り越えられて今があるのは、助けていただいた皆様のおかげです。当院を必要として下さる皆様のお役に立つことで、ご厚意に報いていく所存です。

また、あってはならない事ではありますが、将来発生するかもしれない被災者のお役に立てるように病院として備えを進めてまいります。これがご恩返しの一つになれる事を願っています。

地震を始めとする災害を無くす事はできません。今回の経験で、平穏無事な日々の有難さを痛感いたしました。一人でも多くの方が一日でも多く、幸せな日々をお過ごしになる事をお祈り申し上げます。

「バイバイ」笑顔の幼子、母は橋から落とした:朝日新聞デジタル

小さないのち 奪われる未来 子どもへの虐待が後を絶たない背景の一つに「育児の孤立化」があるとされる。ある母子の悲劇を追った。 「この子をこのまま置いておくわけにはいかない」 不機嫌になっていく交際相…

情報源: 「バイバイ」笑顔の幼子、母は橋から落とした:朝日新聞デジタル

第二のゆりかご

私が第二の「こうのとりのゆりかご(ゆりかご)」誕生を願うことは度々ありました。

北海道で乳児遺棄事件が発生すると、北海道にゆりかごが設置されていない事を嘆きました。ゆりかごが批判に晒され孤立感を持った時には、「同じ活動を行っている団体があれば心強いのに‥」と考えたこともあります。

「このとりのゆりかごin関西」という団体が第二のゆりかごを神戸市に開設する準備を進めています。

ゆりかごは実母が匿名で赤ちゃんを預け入れるシステムです。
これは、保護責任者遺棄罪に当たりかねない行為ですが、病院という赤ちゃんの健康を維持できる施設に預けるということで、犯罪ではないと解釈されています。

この解釈が前提ですので、ゆりかごは慈恵病院単独で運用できるものではなく、市長、市役所、児童相談所、警察、乳児院の理解と協力を得て初めて成立します。

第二のゆりかごは、神戸市の助産院を前提に開設準備が進められているようです。助産院やそこをバックアップするNPO法人には覚悟が求められます。慈恵病院の場合、寄付金だけでは運営費をまかなえず、年間約1200万円を病院の会計から補填しています。持続性のある活動のための資金をどのように担保すべきか、関西の運営者には努力が求められると思います。

お金だけではありません。今までなかった業務が増えます。慈恵病院のこれまでを振り返ると、たくさんのマンパワーをつぎこんできました。これは、市役所、児童相談所、警察、乳児院の方々でも同様です。例えば、児童相談所はただでさえ虐待の対応で忙しいのに、ゆりかごに赤ちゃんが預け入れられれば、夜中でも駆けつけなければいけません。

開設から10年が経過し、慈恵病院にとって、ゆりかご活動は日常業務の一環となってしまった感がありますが、決して楽な、簡単な活動ではありません。
関西の方々には、その事をご理解いただきたいと思います。

 

子ども食堂 半径500mの限界点

「エンゼルこども食堂」

慈恵病院で毎週木曜日に開催している子ども食堂です。
昨年の4月にスタートし、開催回数も40回を超えました。

1回あたり30~60人のお子さんが来てくれるのですが、家庭背景は様々です。
「あの子に子ども食堂は必要ないのでは?」と言われそうなお子さんの参加もありますが、私はそれが良いと思っています。

もしも子ども食堂が明らかな貧困家庭のお子さんしか対象にしなければ、参加者はほとんどなくなります。まず、親御さんが行かせたがりません。
福岡の子ども食堂では、「子ども食堂を必要とする子が10人中、1人くらいいればいい」という方針で運営されていると伺いましたが、私も同感です。

ところで、子ども食堂に来てくれていたお子さんが、ある日パタッと来なくなることがあります。いわゆる「子ども食堂を必要としない子」が来なくなるのは、面倒くさくなっただけだと理解できるのですが、「必要とする子」が突然来なくなると心配します。

恐らく最大の理由は距離だと思います。一度家に帰り、ランドセルを置いて、さらに30分歩いて来るお子さんもいました。学校から帰って疲れているのに、それから歩くのは負担です。帰り道については車で送ったりもするのですが、それでも子ども食堂に行くのがおっくうなんだと思います。

子ども食堂をスタートする前は、慈恵病院のある校区だけでなく、近隣校区のお子さん達の役にも立ちたいと考えていましたが、やってみると限界を感じます。自分たちのいる校区でさえカバーできていません。

子ども食堂を必要とするお子さんが継続して来てくれるには、歩くのに負担のない距離が必要です。半径1.5kmは遠すぎました。地図を見ながら個人的に思ったのが、半径500mです。

それを考えると、子ども食堂は慈恵病院で行っている大規模なものではなく、小規模な活動が多くあった方が良いように思います。

「200~300m以内の近所のお家に子ども2~3人が集まって食事をする」

私はそんな理想のイメージを持っています。
規模が大きくなると、食材やマンパワーの継続性が危うくなります。
近所のお家の夕ご飯に招かれるレベルなら、自分たちの夕食のおかずを多めに購入する事でまかなえます。寄付に期待してヤキモキする必要もありません。

この方式には幾つかの問題もあります。
「必要とする子とどうやってつながるのか?」
「一個人の家に子どもが行く、家に受け入れる際の信頼関係や安全性は?」
実現は難しいかもしれません。

・身近にないと、必要とする子どもの役に立たない
・開催場所、資金、食材、マンパワーの永続性をどうするべきか

エンゼルこども食堂のみならず、多くの子ども食堂が抱える課題だと思います。

こども夜回り

 

大阪市西成区釜ヶ崎にホームレスの人が多いことは以前から知っていましたが、昨年この地で活動なさっている神父様の事を知り、関心を持つようになりました。

ちなみに、私はキリスト教徒ではありません。慈恵病院はカトリック系の病院ですし、両親も妻も洗礼を受けていますが、私自身は聖書を読んだことすら、ほとんどなく、キリスト教の知識がありません。

釜ヶ崎の事を調べていく内にたどり着いたのが、「こどもの里」さんでした。
子どもの居場所を提供し、そこで子ども達が遊び、学び、生活をするそうですが、家庭環境の厳しいお子さんも少なくないそうです。

先月、「こどもの里」さんが行っている、「こども夜回り」に参加してきました。これは、野宿生活の方に、おにぎり、味噌汁、毛布、カイロなどを配りながら、野宿生活をしている方のお話を伺う活動です。この活動は子どもが前面に出てやります。大人は補助役です。

この活動に私の次女、三女を連れて参加しました。
16時からおにぎりを作り、18時半から1時間仮眠を取った後、20時からレクチャー、解散は午前1時半のハードスケジュールでした。親としては心配しましたが、本人達は楽しかったようです。(翌朝は教会のミサにも参加させていただいたりで、帰りの新幹線では爆睡していました)

私にとって釜ヶ崎は二度目でしたが、正直なところ混乱しました。

「この街には、生活保護を受けて鉄筋コンクリートの個室に住んでいる人が沢山いるのに、どうして野宿をするのか?どうして生活保護を受けないのか?

「『こども夜回り』を喜んでくれる人もいたが、拒否する人もいた。子どもが話かけると比較的受け入れが良いと言われていたのに、その子どもさえも拒否される。ましてや大人の自分がウロウロしていること自体迷惑ではないか?ここに来てよかったのか?」

この日は1月の寒空でした。把握されただけでも120名の人が野宿をしていました。
熊本で夜歩いていると、彼らのことを思い出します。
「あの人達の役に立つために、自分はどうしたらいいのか?」

顔見知りでもない熊本の人間が夜回りするよりも、地元の人が声をかける方が安心感があると思います。私は物資を送るなど後方支援にまわるべきではないかとも思いました。屈折した考え方かもしれませんが、私が大阪へ往復する交通費があれば毛布が何枚も買える訳で、その方が役に立つはずです。

混乱しています。釜ヶ崎の事を知らないからだと思います。あの街の事、あの人達の事をもっと知らなければ、自分の立ち位置も定まらないように感じます。

ただ、理屈抜きに、私はあの街に魅力を感じます。大都会で感じる無機質とは違う雰囲気があります。うまく表現できないのですが、温かみというか、人間味を感じる街です。難しいことを抜きにして、あの街に通ってみながら考えてもいいかなとも思います。

通りには魅力的な立ち飲み店がいくつかありました。鉄板の上で焼かれているホルモンが美味しそうでした。次の大阪出張が楽しみです。

 

 

「中絶できない時期までほったらかしにしてっ!」

中絶政策転換、米大統領令で助成金禁止

トランプ米大統領は23日、海外で人工妊娠中絶に関する支援を行う民間団体への連邦助成金支出を禁じる米大統領令に署名した。女性の「選ぶ権利」を重視したオバマ前政権の政策を覆し保守色を鮮明にしたhttp://www.sankei.com/world/news/170124/wor1701240010-n1.html

トランプ大統領の言動が毎日のように世界を揺さぶっています。日本のマスコミでは、貿易問題、難民制限、安全保障などが大きく取り上げられていて、あまり目立ちませんが、先日トランプ氏の中絶反対姿勢を反映した大統領令が出されました。

トランプ大統領は、テロ容疑者への水責め拷問を復活させたいと言っている人です。こわもての大統領が人工妊娠中絶に反対するのは、多くの日本人にとって違和感があると思います。

日本社会は、中絶を好ましいものではないが、やむを得ない手段として受け入れていると思います。そして、年間18万件の人工妊娠中絶が合法的に行われています。

慈恵病院が取り組んでいる妊娠電話相談には、次のような相談が寄せられます。

「『堕ろさなければ別れる』と彼氏から言われ困っている」

「娘の付き合っている男がいい加減な人間なので中絶するよう勧めているが、娘が言うことを聞かない」

「産んで育てたいけれど、生活保護を受けているので言い出せなかった。役所に相談したら、『どうして中絶しなかったの?』と怒られた」

「責任を持って育てられないのなら中絶すべき」というのが、日本での一般的な考え方だと思います。

そんな中、「自分では育てられないけれど、大事な命だから、お腹の中の赤ちゃんを殺すことはできない」と、誰にも知らせずに臨月を迎えた女子高生もいました。
ただ、その行動に至る女性は少数派です。

米国民の8~9割がキリスト教徒とも言われています。
キリスト教、特にカトリック教会では、胎児を一人の人間とみなし、中絶を殺人行為として捉えています。中絶反対派の中には過激な人たちもいて、中絶クリニックを放火、爆破したり、クリニックの医師を射殺するケースまで発生しました。
(個人的には、胎児の生命を尊重する人が医師を射殺して良いのか疑問ですが)
トランプ大統領のニュース、改めて日本と米国の違いを考えさせられました。

「じゃあ蓮田は中絶をどう考えるのか?」

私個人は、中絶を希望する女性に反対できません。
中絶せずに産んでくれれば嬉しいです。
事情があって自分で育てられないなら、それでもいいのです。
特別養子縁組を提案します。
それで赤ちゃんの命が救われれば良いと思います。
しかし、妊娠継続と出産を拒否している女性に無理強いはできません。
頻度は低いものの、妊娠・分娩が母体に重大なダメージを与える事があるのを産婦人科医として経験していますので。
また、「育てられない赤ちゃん」が年間18万人、10年で180万人生まれたとき、その養育環境をどう整えるかという問題もあります。

悩ましい問題です。
目下のところは、中絶せずに産んでくれる女性の役に立てるよう、「こうのとりのゆりかご」、電話相談の活動に注力するしかないと思っています。

 

 

養子縁組:10~17歳の9割「養親の愛情を感じている」 – 毎日新聞

7割は自己肯定感高く 専門家、家庭で育つことの重要性指摘  生みの親でなく養子縁組した親と暮らす10~17歳の7割は自己肯定感が高く、9割は親の愛情を感じているとの意識調査結果を、日本財団がまとめた。国が全国の中学3年に実施した調査結果よりそれぞれ割合は高く、専門家は児童養護施設でなく家庭で育つことの重要性を指摘する。

情報源: 養子縁組:10~17歳の9割「養親の愛情を感じている」 – 毎日新聞

赤ちゃんが生まれた瞬間に、涙を流して喜ぶ産婦さんが時々いらっしゃいます。
たまに赤ちゃんのお父さんが泣くこともあります(奥さんは泣いていないのに)。

産婦人科医として分娩に立ち会っていて思うのですが、初めて赤ちゃんと対面する時、(血縁関係のある親子の一般的な出産シーンに比べて)養親さんの方が泣く頻度が高いです。

慈恵病院では、養子となる赤ちゃんが生まれる時は、養親候補のご夫婦に別室で待機していただいています。助産師が生まれた赤ちゃんを預けると、泣きながら抱っこされることが多いように思います。いかつい大男のご主人がボロボロ泣いていたこともありました。

理由はいくつかあると思います。ほとんどのご夫婦が長期間の不妊症治療を経験されています。それでも赤ちゃんを授かることがなく、特別養子縁組に至っています。数々の至難を乗り越えての赤ちゃんですから、感激もひとしおだと思います。

日本の社会では、いまだに特別養子縁組が広く受け入れられていません。アメリカと比較すると歴然です。「他人が産んだ子を受け入れる」というのは、日本ではまだ勇気のいることです。そんな中でも、特別養子縁組に飛び込んでくるご夫婦には、それなりの愛情や優しさがないとできません。

記事の「養子の7割は自己肯定感が高い」「養子の9割が養親の愛情を感じている」という傾向は、私に言わせると当然の感があります。
「かわいい、かわいい」と言われながら育っている養子さんが多いですので。
養親の会で集まりがあると、我が子の自慢話が多いとも聞きます。

切羽詰まったお母さんのお腹にいる赤ちゃんの行く末を心配することは少なくありませんが、数年後にニコニコした坊ちゃん、嬢ちゃんに成長した姿を見ると、ほっとします。特別養子縁組の素晴らしさ、ありがたさを感じます。