内密出産を求めて来た女性が匿名性を撤回することは子どもの利益になるように見えますが、事はそのように単純ではありません。
生みの母親が匿名性を撤回する場合、その動機のほとんどは「自分で育てたくなったから」です。中には身元を明かして、産んだ子どもを自分の戸籍に入れる手続きを行い、その上で特別養子縁組に子どもを託す事例もありますが、これは少数です。
内密出産を求めた女性が子どもを育てるときに、実家の親御さんがこれを支援してくれれば、子育ては比較的軌道に乗るのですが、これもまた少ない事例です。当院での内密出産を振り返ると、「生みの母親が一人で子どもを育てる」場合、そのほとんどが上手くいかずに育児を断念し、赤ちゃんは乳児院や里親の元で暮らすことになりました。その後に母親が子どもを迎えに来ることはないですし、特別養子縁組に託すこともありません。その子どもは周りの大人たちから「お母さんはいつか迎えに来る」と言われながら、それでも迎えに来ない親を待ち続ける人生を歩むことになります。子どもとしては期待が失望に変わり、いずれ恨みになりかねません。
私はこのような事例を積み重ねるうちに、「こんなことになるくらいなら、生みの母親が匿名でも構わないから、最初から特別養子縁組にしてもらい、大事にしてもらえる育ての親の元で暮らしてもらう方が子どもにとっては幸せだった」と思うのようになりました。
しかし冷静に考えれば、これは必然とも言える流れです。内密出産を求めてくる女性たちは、妊娠する前から困り事を抱えていることがほとんどです。そこには発達症(発達障害)や境界知能などの特性が関係しています。それでも実家の親御さんがそれを支えてくれれば大きな問題にはなりません。ところが内密出産を求める女性の場合、虐待、過干渉、親による子どもへの極端な無関心などから、親子関係が悪く、心理学で言うところの愛着障害を来しています。親の助けがない生い立ちにあるのです。
自らの生活さえうまくコントロールできない女性が、赤ちゃんを産んだ途端に人が変わったようになって生活を立て直すのは困難です。子育ては親に喜びをもたらすことがあるかもしれませんが、一人で生活するときと比べると間違いなく負担が増えます。出産や子育てによって仕事は制限され収入は減ります。子連れでは気分転換の食事会や旅行などもままなりません。このような経験をしている世のお母さん方には自明の理でしょう。
内密出産を求めて来た女性に匿名性を撤回させて子どもを育てるように仕向けることは、病院にとっても、児童相談所を始めとした行政にとっても都合の良いことかもしれません。しかし、それは子どもが愛着障害を来し、自己肯定感の低い人間になってしまいかねない成育環境に子どもを送り込むことにもなります。これは行政を始めとした社会的養護の関係者が大事にする「子どもの最善の利益」に反することです。

