東京の憂うつ その2
母親を怖がらせる監視カメラ

顔に向けられた監視カメラ

これは賛育会病院(東京都)のベビーバスケット(赤ちゃんポスト)の入り口にある監視カメラです。

扉の左上に設置されていて、

赤ちゃんを預け入れる女性の顔に向けられています。

これでは赤ちゃんを預けに来た女性が警戒して中に入れなくなります。
赤ちゃんポストを頼る女性の多くが自分の身元が明らかになってしまうことを恐れています。その心理は平常時とは異なります。例えばコンビニに入るお客さんは万引きでもしない限りお店の内外に設置された監視カメラを気にしないと思います。しかし赤ちゃんポストを頼る女性は、見つかってしまうことを強く恐れていますので彼女たちを怖がらせないような配慮が求められます。

慈恵病院であった隠し撮り

とは言え、赤ちゃんポストの有無には関係なく病院には監視カメラが必要です。病院だから常に平和というわけではありません。慈恵病院は地方都市である熊本の閑静な住宅街にあります。犯罪とは縁遠い環境に見えますが、それでも数年に1回くらいは職員が不安に感じる人物が訪れることがあります。

「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)の18年間の歴史の中では、「ゆりかご」に来る女性の隠し撮りを試みたカメラマンが一人いました。当時は数ヶ月に1例くらいしか赤ちゃんの預け入れがありませんでしたから、私から見れば「見込みのない努力」でしたが。

この事例のきっかけは病院職員からの報告でした。

「駐車場にタクシーが止まっているんですけど、後部座席の人がビデオカメラを病院に向けています」

タクシーの止まっている場所が駐車場ゲートの隣にある区画でしたから、通勤時には多くの職員がタクシーの横を歩きます。このカメラマンは気付いていなかったようですが、中小病院の駐車場ですからタクシーが居座れば、かなり目立ちます。普通、病院でタクシーが止まる場所と言えば玄関前や客待ちスペースです。駐車場にいるのは商用車ではなく自家用車です。特に夜間はその自家用車ですら数台しかとまりません。

私はカメラマンを派遣したメディアに撮影の中止を求め、これでこの問題は終わったかに見えました。ところが、このカメラマンは性懲りもなく隠し撮りを再開していました。それをお見舞いに来た患者さんのご主人が見つけて警察に通報することになりました。

いわゆる警察沙汰になったわけで、タクシー会社に警察が事情聴取に入るなど大変でした。私もカンカンになってカメラマンを派遣したメディアを出入り禁止にしました。このメディアは「ゆりかご」の特集を企画していたようですが、前のめりが過ぎました。

慈恵病院にもある監視カメラ

「ゆりかご」の扉が開けられるとナースステーションのアラームが鳴る仕組みになっていますが、もしもの断線に備えて、アラーム回線を2回線設けています。

さらにアラームの不具合があっても職員が赤ちゃんに気づけるように赤ちゃんに向けた監視カメラを設け、ナースステーションに設置しているモニターで赤ちゃんの存在に気づけるようにしています。赤ちゃんが置きっぱなしにならないように二重三重の安全装置を設けています。

ただしモニターに映るのは赤ちゃんとベッドだけで、実母さんなど預け入れた人物については手しかとらえていません。

威嚇するカメラ

一般に監視カメラには犯罪防止の役割を持たせることもあります。その場合はあえてカメラを目立つところに置き、相手にカメラの存在を気付かせることで犯罪を防ぎます。しかしベビーバスケットの入り口にあからさまに防犯カメラを設置するのはまずいです。赤ちゃんを預け入れる人は犯罪者ではないのですから、顔にカメラを向けるべきではありません。

一人で出産し、陣痛と出血で体力を消耗した女性たちがベビーバスケットを訪れます。産道の傷の痛みに耐えながら長距離を移動してくる人もいます。周囲に助けを求めることができず、恐怖や不安の中で唯一の助けとなるのが赤ちゃんポストです。

やっとの思いで病院にたどり着いた女性たちを迎えるのが、顔に向けられたカメラのレンズであるのは残念です。自らの出産を知られてしまうことに怯えている女性の心理は平常時とは異なります。カメラの存在は威嚇する物として受け止められます。近づくなと言っているようなものです。

事件を誘発する危険性

女性が扉を開けることをあきらめたときにどうなるのでしょう。
今さら他に頼るあてはありません。東京から遠い熊本まで行くのも無理です。体力も気力も尽き果てていることでしょう。運動場を10周走るように言われた生徒が、走るのが苦手でやっとの思いをして10周目を走りきろうとしているときに、「あと10周走れ」と言われるようなものです。

お金の問題もあります。東京駅から熊本駅まで新幹線で移動するには25000円以上がかかります。赤ちゃんポストを頼る女性にとって、とっさに25000円×2回(往復)を用意するのは現実的ではありません。

絶望してパニックになり病院の敷地や近所の軒下などに赤ちゃんを遺棄することもあり得ます。それは犯罪行為であり絶対に避けたい事態です。孤立妊産婦さんの中には発達症や境界知能の特性を持っている人が一定数います。そのような特性の人は想定外の事態への対応が苦手で、パニックに陥ってしまう恐れがあります。

慈恵病院の苦い経験

過去には慈恵病院の「ゆりかご」の外に赤ちゃんが置かれたことがありました。「ゆりかご」の扉を開ければ、すぐに看護師が出てきて捕まると恐れた女性が取った行動でした。この時は赤ちゃんを置いた女性がすぐに病院に「今預けました」と電話を入れたことで赤ちゃんが看護師に保護され無事でしたが。

私たち病院職員が考えている以上に女性たちが見つかってしまうことを恐れていることを思い知らされた事例でした。

女性に安心してもらえるようにしつらえる

赤ちゃんポストをするからには、女性たちが安心して赤ちゃんを預けられるようにしつらえるのが運営者の責務です。訪れた女性を怖がらせたり混乱させてしまったりすべきではありません。

赤ちゃんを預ける女性に対して、「安易に育児放棄をしている」と批判する人もいます。しかし実際には女性たちの多くが人生の限界点に達して慈恵病院を訪れています。その背景には親による虐待、過干渉があり、学校でのいじめ、職場でのパワハラ、交際男性の裏切りがあります。叩かれ傷つき、よりどころがなく、見ず知らずの熊本まで産んだ我が子を抱えて来る人たちです。

女性のこれまでの苦労をねぎらい支えるのが病院に求められる姿勢です。監視カメラは必要ですが、それは飽くまでも不測の事態に備えるためのものです。賛育会病院には、訪れた女性を怖がらせないような所にカメラを設置し直してしていただきたいと願います。