大阪市西成区釜ヶ崎にホームレスの人が多いことは以前から知っていましたが、昨年この地で活動なさっている神父様の事を知り、関心を持つようになりました。
ちなみに、私はキリスト教徒ではありません。慈恵病院はカトリック系の病院ですし、両親も妻も洗礼を受けていますが、私自身は聖書を読んだことすら、ほとんどなく、キリスト教の知識がありません。
釜ヶ崎の事を調べていく内にたどり着いたのが、「こどもの里」さんでした。
子どもの居場所を提供し、そこで子ども達が遊び、学び、生活をするそうですが、家庭環境の厳しいお子さんも少なくないそうです。
先月、「こどもの里」さんが行っている、「こども夜回り」に参加してきました。これは、野宿生活の方に、おにぎり、味噌汁、毛布、カイロなどを配りながら、野宿生活をしている方のお話を伺う活動です。この活動は子どもが前面に出てやります。大人は補助役です。
この活動に私の次女、三女を連れて参加しました。
16時からおにぎりを作り、18時半から1時間仮眠を取った後、20時からレクチャー、解散は午前1時半のハードスケジュールでした。親としては心配しましたが、本人達は楽しかったようです。(翌朝は教会のミサにも参加させていただいたりで、帰りの新幹線では爆睡していました)
私にとって釜ヶ崎は二度目でしたが、正直なところ混乱しました。
「この街には、生活保護を受けて鉄筋コンクリートの個室に住んでいる人が沢山いるのに、どうして野宿をするのか?どうして生活保護を受けないのか? 」
「『こども夜回り』を喜んでくれる人もいたが、拒否する人もいた。子どもが話かけると比較的受け入れが良いと言われていたのに、その子どもさえも拒否される。ましてや大人の自分がウロウロしていること自体迷惑ではないか?ここに来てよかったのか?」
この日は1月の寒空でした。把握されただけでも120名の人が野宿をしていました。
熊本で夜歩いていると、彼らのことを思い出します。
「あの人達の役に立つために、自分はどうしたらいいのか?」
顔見知りでもない熊本の人間が夜回りするよりも、地元の人が声をかける方が安心感があると思います。私は物資を送るなど後方支援にまわるべきではないかとも思いました。屈折した考え方かもしれませんが、私が大阪へ往復する交通費があれば毛布が何枚も買える訳で、その方が役に立つはずです。
混乱しています。釜ヶ崎の事を知らないからだと思います。あの街の事、あの人達の事をもっと知らなければ、自分の立ち位置も定まらないように感じます。
ただ、理屈抜きに、私はあの街に魅力を感じます。大都会で感じる無機質とは違う雰囲気があります。うまく表現できないのですが、温かみというか、人間味を感じる街です。難しいことを抜きにして、あの街に通ってみながら考えてもいいかなとも思います。
通りには魅力的な立ち飲み店がいくつかありました。鉄板の上で焼かれているホルモンが美味しそうでした。次の大阪出張が楽しみです。