小さないのち 奪われる未来 子どもへの虐待が後を絶たない背景の一つに「育児の孤立化」があるとされる。ある母子の悲劇を追った。 「この子をこのまま置いておくわけにはいかない」 不機嫌になっていく交際相…
月別アーカイブ: 2017年2月
第二のゆりかご
私が第二の「こうのとりのゆりかご(ゆりかご)」誕生を願うことは度々ありました。
北海道で乳児遺棄事件が発生すると、北海道にゆりかごが設置されていない事を嘆きました。ゆりかごが批判に晒され孤立感を持った時には、「同じ活動を行っている団体があれば心強いのに‥」と考えたこともあります。
「このとりのゆりかごin関西」という団体が第二のゆりかごを神戸市に開設する準備を進めています。
ゆりかごは実母が匿名で赤ちゃんを預け入れるシステムです。
これは、保護責任者遺棄罪に当たりかねない行為ですが、病院という赤ちゃんの健康を維持できる施設に預けるということで、犯罪ではないと解釈されています。
この解釈が前提ですので、ゆりかごは慈恵病院単独で運用できるものではなく、市長、市役所、児童相談所、警察、乳児院の理解と協力を得て初めて成立します。
第二のゆりかごは、神戸市の助産院を前提に開設準備が進められているようです。助産院やそこをバックアップするNPO法人には覚悟が求められます。慈恵病院の場合、寄付金だけでは運営費をまかなえず、年間約1200万円を病院の会計から補填しています。持続性のある活動のための資金をどのように担保すべきか、関西の運営者には努力が求められると思います。
お金だけではありません。今までなかった業務が増えます。慈恵病院のこれまでを振り返ると、たくさんのマンパワーをつぎこんできました。これは、市役所、児童相談所、警察、乳児院の方々でも同様です。例えば、児童相談所はただでさえ虐待の対応で忙しいのに、ゆりかごに赤ちゃんが預け入れられれば、夜中でも駆けつけなければいけません。
開設から10年が経過し、慈恵病院にとって、ゆりかご活動は日常業務の一環となってしまった感がありますが、決して楽な、簡単な活動ではありません。
関西の方々には、その事をご理解いただきたいと思います。
子ども食堂 半径500mの限界点
「エンゼルこども食堂」
慈恵病院で毎週木曜日に開催している子ども食堂です。
昨年の4月にスタートし、開催回数も40回を超えました。
1回あたり30~60人のお子さんが来てくれるのですが、家庭背景は様々です。
「あの子に子ども食堂は必要ないのでは?」と言われそうなお子さんの参加もありますが、私はそれが良いと思っています。
もしも子ども食堂が明らかな貧困家庭のお子さんしか対象にしなければ、参加者はほとんどなくなります。まず、親御さんが行かせたがりません。
福岡の子ども食堂では、「子ども食堂を必要とする子が10人中、1人くらいいればいい」という方針で運営されていると伺いましたが、私も同感です。
ところで、子ども食堂に来てくれていたお子さんが、ある日パタッと来なくなることがあります。いわゆる「子ども食堂を必要としない子」が来なくなるのは、面倒くさくなっただけだと理解できるのですが、「必要とする子」が突然来なくなると心配します。
恐らく最大の理由は距離だと思います。一度家に帰り、ランドセルを置いて、さらに30分歩いて来るお子さんもいました。学校から帰って疲れているのに、それから歩くのは負担です。帰り道については車で送ったりもするのですが、それでも子ども食堂に行くのがおっくうなんだと思います。
子ども食堂をスタートする前は、慈恵病院のある校区だけでなく、近隣校区のお子さん達の役にも立ちたいと考えていましたが、やってみると限界を感じます。自分たちのいる校区でさえカバーできていません。
子ども食堂を必要とするお子さんが継続して来てくれるには、歩くのに負担のない距離が必要です。半径1.5kmは遠すぎました。地図を見ながら個人的に思ったのが、半径500mです。
それを考えると、子ども食堂は慈恵病院で行っている大規模なものではなく、小規模な活動が多くあった方が良いように思います。
「200~300m以内の近所のお家に子ども2~3人が集まって食事をする」
私はそんな理想のイメージを持っています。
規模が大きくなると、食材やマンパワーの継続性が危うくなります。
近所のお家の夕ご飯に招かれるレベルなら、自分たちの夕食のおかずを多めに購入する事でまかなえます。寄付に期待してヤキモキする必要もありません。
この方式には幾つかの問題もあります。
「必要とする子とどうやってつながるのか?」
「一個人の家に子どもが行く、家に受け入れる際の信頼関係や安全性は?」
実現は難しいかもしれません。
・身近にないと、必要とする子どもの役に立たない
・開催場所、資金、食材、マンパワーの永続性をどうするべきか
エンゼルこども食堂のみならず、多くの子ども食堂が抱える課題だと思います。
こども夜回り
大阪市西成区釜ヶ崎にホームレスの人が多いことは以前から知っていましたが、昨年この地で活動なさっている神父様の事を知り、関心を持つようになりました。
ちなみに、私はキリスト教徒ではありません。慈恵病院はカトリック系の病院ですし、両親も妻も洗礼を受けていますが、私自身は聖書を読んだことすら、ほとんどなく、キリスト教の知識がありません。
釜ヶ崎の事を調べていく内にたどり着いたのが、「こどもの里」さんでした。
子どもの居場所を提供し、そこで子ども達が遊び、学び、生活をするそうですが、家庭環境の厳しいお子さんも少なくないそうです。
先月、「こどもの里」さんが行っている、「こども夜回り」に参加してきました。これは、野宿生活の方に、おにぎり、味噌汁、毛布、カイロなどを配りながら、野宿生活をしている方のお話を伺う活動です。この活動は子どもが前面に出てやります。大人は補助役です。
この活動に私の次女、三女を連れて参加しました。
16時からおにぎりを作り、18時半から1時間仮眠を取った後、20時からレクチャー、解散は午前1時半のハードスケジュールでした。親としては心配しましたが、本人達は楽しかったようです。(翌朝は教会のミサにも参加させていただいたりで、帰りの新幹線では爆睡していました)
私にとって釜ヶ崎は二度目でしたが、正直なところ混乱しました。
「この街には、生活保護を受けて鉄筋コンクリートの個室に住んでいる人が沢山いるのに、どうして野宿をするのか?どうして生活保護を受けないのか? 」
「『こども夜回り』を喜んでくれる人もいたが、拒否する人もいた。子どもが話かけると比較的受け入れが良いと言われていたのに、その子どもさえも拒否される。ましてや大人の自分がウロウロしていること自体迷惑ではないか?ここに来てよかったのか?」
この日は1月の寒空でした。把握されただけでも120名の人が野宿をしていました。
熊本で夜歩いていると、彼らのことを思い出します。
「あの人達の役に立つために、自分はどうしたらいいのか?」
顔見知りでもない熊本の人間が夜回りするよりも、地元の人が声をかける方が安心感があると思います。私は物資を送るなど後方支援にまわるべきではないかとも思いました。屈折した考え方かもしれませんが、私が大阪へ往復する交通費があれば毛布が何枚も買える訳で、その方が役に立つはずです。
混乱しています。釜ヶ崎の事を知らないからだと思います。あの街の事、あの人達の事をもっと知らなければ、自分の立ち位置も定まらないように感じます。
ただ、理屈抜きに、私はあの街に魅力を感じます。大都会で感じる無機質とは違う雰囲気があります。うまく表現できないのですが、温かみというか、人間味を感じる街です。難しいことを抜きにして、あの街に通ってみながら考えてもいいかなとも思います。
通りには魅力的な立ち飲み店がいくつかありました。鉄板の上で焼かれているホルモンが美味しそうでした。次の大阪出張が楽しみです。