日別アーカイブ: 2020年7月11日

残念な『赤ちゃんポストの真実』

6月30日に小学館から出版された『赤ちゃんポストの真実』を巡っては、数ヶ月間ゴタゴタしました。
きっかけは4月に著者から送られてきた手紙です。
6月に本を出版する旨の内容が書いてありました。

「こうのとりのゆりかご」関連の本は過去に何冊か出版されましたが、通常は事前に企画が説明され、取材や原稿チェックが重ねられた上に出来上がるものです。
今回はそのような過程もないまま、いきなりの出版通知でした。
しかもタイトルが『赤ちゃんポストの真実』という究極本を示唆するものだったため驚きました。

そしてムッとしました。

赤ちゃんの遺棄や殺人を防止する目的でスタートした「こうのとりのゆりかご」(俗称:赤ちゃんポスト)の世界は未だに分からないことばかりで、個人的には一生理解が及ばず結論も出せないだろうと思っています。
そもそも赤ちゃんの遺棄・殺人の防止は、古今東西、多くの人が試行錯誤を重ねてきたテーマです。簡単には解決できません。

このような中で真実を見出し、語るには、相応の情報収集と分析が求められるはずです。ところが、この本の著者は過去2年半慈恵病院を取材していません。

「こうのとりのゆりかご」の世界はめまぐるしく変化します。
開設当初には見えてこなかった点がわかる事もありますし、個人的には自らの考えを改めた事もあります。果たして直近の2年半もの間、慈恵病院を取材しないまま真実を描けるのでしょうか。私は再取材を行ってからの出版を提案しましたが、聞き入れてもらえませんでした。

著者は出版日の1週間前に慈恵病院を訪れ、玄関先で件の本を1冊職員に預けましたが、職員の呼び止めにも応じず、半ば逃げるように去って行ったそうです。

その本が私の手元にあります。

読んでみましたが、この本の伝えたいメッセージは、「赤ちゃんポストの真実はわからない」ではないかと感じています。究極本と思い込んでいた私の早とちりでした。実はこの本のベースとなる文章の原題は、『赤ちゃんポストの虚実』です。
著者が小学館のノンフィクション大賞に応募した作品です。
恐らく暴露本のような性格のものでしょう。

タイトルと中身に乖離がある事例は週刊誌やスポーツ紙で見かけます。過激な見出しは目を引きますが、実際に読んでみると大した内容ではなく、「なーんだ…」と思った経験をした方もいらっしゃると思います。

しかし、この本の著者は熊本日日新聞社の社員です。同社は熊本県民から信頼を寄せられる新聞社で、私も毎日購読し、私自身が影響を受けた記事・文章がたくさんあります。それだけに羊頭狗肉的なタイトル、見切り発車的な編集・出版方針は残念です。もっと取材を重ねていれば、見えてくるもの、読者に伝えるべきものが沢山あったはずです。長くなるので書きませんが、出版元の小学館の不誠実な対応にもがっかりしました。結局6月出版ありきだったようです。

政界や芸能界の暴露本ならともかく、赤ちゃんやお母さんを守りたいという「こうのとりのゆりかご」をテーマにするのなら、真摯な対応があるべきです。人を大切にする事を行動で示せない方が美辞麗句を並べても説得力がありません。

ちなみに私は2年半前、熊本日日新聞記者としての著者から取材を受けたのですが、この時の経験は苦い記憶として残っています。

彼女はそれまで「こうのとりのゆりかご」に否定的な記事を書いていました。ドイツでは赤ちゃんポストの廃止の勧告が出ていて、代わりに内密出産が成果をあげているとも述べていました。ところが私が内密出産導入の検討を表明したところ、彼女は手のひらを返したかのように内密出産を否定する取材を試みたのです。
2017年12月のことです。

当初は内密出産について一般的な質問の取材と思っていました。ところが彼女は、内密出産を実現できない証拠を引き出す質問ばかりを繰り返しました。途中から他の記者さんの取材と違うことに気付き、そしてネガティブな質問ばかりの取材に怒りました。

「あなたは、『ゆりかご』も内密出産も否定して、ではどうやって赤ちゃんの遺棄や殺人に対応しようと言うのですか?」と投げかけました。しかし彼女は「私は意見を述べる立場にないので…。次の質問を行きましょう」という感じで再びネガティブ質問を繰り返すのです。その時私の中で大げさではなく「はめられた」「これはワナだ」という思いがよぎりました。
危険だと思いました。
そこで取材を打ち切りました。
それでも2時間取材にお付き合いしたわけですから、トランプ大統領よりは誠意があると思いますが(笑)

子どもの頃は別として、私は成人して以来30年以上、「はめられた」とか「ワナだ」と思ったことがありません。それだけ平和な人生を送れたのだと思います。ただ、人にそのような思いをさせる記者は職業倫理上許されないのではないでしょうか。

取材対象者に不快な思いをさせる新聞記者が悪いとは思いません。自らにポリシーがあって、それを主張できるなら許されると思います。例えば森友学園問題で官房長官を追求した東京新聞の記者や、トランプ大統領を追求する記者です。今回の著者が自らの主張を述べてくれれば、例え私と異なる意見でも彼女に敬意を表したと思います。

私は「こうのとりのゆりかご」反対論も尊重しなければいけないと考えています。記者さんが「こうのとりのゆりかご」に異を唱えることを否定しません。しかし、ならば赤ちゃんの遺棄・殺人にどう向き合うのか、対案を提示していただく必要があります。この著者のように自らの議論は避け、誘導尋問的な、揚げ足取り的な質問を繰り返す取材姿勢はおかしいと思うのです。そして自らの主張を新聞紙面上で一方的に展開するのは、彼女が著書の中で述べている「ミスリード」に当たります。

この取材の翌日に熊本日日新聞社に抗議をしたところ、上司の方が説明と謝罪に見え、彼女は慈恵病院の担当から外されました。私も、それでこの件は終わっと受け止めていました。しかし2年半を経て彼女はまた戻ってきました。

私は人のことを悪く言うのは好きではありません。
特にこのような公の場で批判を展開するのはどうかとも思います。
しかし黙っていては、いずれ同じ事が繰り返されます。

今回の事に限らず「こうのとりのゆりかご」には、マスメディアとのトラブルが発生した過去があります。中には病院駐車場に車を停め、盗撮行為をしていた報道関係者もいました。患者さんのご主人が、それを見つけ警察に通報したので発覚しましたが、自らの成功のために、そこまでする人さえいます。

「赤ちゃんポスト」というシステムはインパクトがあるだけに、いじられやすいのだと思います。しかし、メディアの方々には、その取材・発信行為が果たして孤立した母子のためなのか、自分のためなのか、問い直しながら接していただきたいのです。

最後に『赤ちゃんポストの真実』の著者が批判だけでなく、「孤立化した母子にどう対応すべきか」というテーマに建設的、現実的な意見を寄せてくれることを願います。